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連鎖を断ち切る
※1 血なまぐさい話が出てきます。暴力的な表現にフラッシュバックを起こす方や影響されやすい方はお控えください。
※2 長いです。あと重いです。サクッと読みたい方には向きません。
人間の上腕の肉を食い千切ったことがある。
その時わたしはただ、生きたかったのだと思う。
16から10年間付き合った恋人は、暴力を振るう人だった。
付き合って3日目の夜に泥酔しながら「死にたい」と電話をかけてきた。
若くて純粋だったわたしは、人の希死念慮を他人がどうこう出来るわけではないということを知らず、一緒に居れば彼がそのことを考えなくなるのではないかと思った。地獄のような10年の始まりだった。
10年の間に暴力はエスカレートしていった。恋人は仕事を辞め、家にこもり、昼夜逆転の生活をし、酒に溺れた。わたしは恋人の束縛により、次第に友人とも疎遠になっていった。何をおいても恋人を優先させることを彼は望んだ。そうやっていつでもわたしを試していた。「死にたい」と夜中に電話がある度に、高校生のわたしは窓から家を抜け出し、自転車で駆けつけることもあった。
身体的な暴力、性的な暴力(望まない行為の強要)、心理的な暴力があった。昼夜逆転した恋人は、朝まで酒を煽りながらわたしをなじった。ありったけの暴言をわたしに吐いて捨てた。恋人の口から出て来る暴言を、わたしはすべて受け入れていた。その通りだと思っていた。「おまえがバカだから俺は殴らなきゃいけない」と言われても、殴らせてしまって申し訳ないとすら思った。恋人は、拳が痛いと言っていた。
恋人の気が済むまでわたしはその場所を離れることはできないので、大学ではよく単位を落とした。3年の時に中退した。それからは仕事を始めたが、朝までなじられ、恋人が泥酔して寝た後に、30分だけ寝て仕事に行くような日もたびたびあった。それでも仕事に遅刻をすることはなかった。恋人の家と、職場と、たまに実家を、ぐるぐるするだけの生活を送った。
わたしからは表情がなくなった。一緒に居れば良くなるという希望も、もはやどこにもなくなっていた。胸の中にはいつもぼんやりと絶望が居座っていた。恋人の望む通りになった。彼はわたしを、自分と同じにしたかったのだ。
恋人からの暴力にわたしが歯向かうことはなかった。一度だけ、いつものように酒を煽りながらわたしを罵倒していた時、
これまで溜まっていたものが一気に噴き出した。その時わたしの心はそれ以上、苦しみを抱えきれなくなっていた。
その時、わたしの頭は
真っ白 になった
気付けば、わたしは奇声を発しながら、恋人の二の腕に噛みついていた。
冬の分厚いトレーナーの上から、渾身の力で。
肉が深くえぐれた。恋人は、腕から血を滴らせながら、「イテェ、イテェ」と言いひどく狼狽していた。その眼には明らかに恐怖が映っていた。
「おまえにもこんなことできんのか、すげえじゃん」と言いながら動揺を隠しきれない彼の姿は、阿呆のようであった。
止血が終わったあと、何倍にもなって仕返しをされた。
そんな阿呆との10年の生活を断ち切るきっかけとなったものは、追い打ちをかけるかのような出来事だった。
恋人と付き合って10年目の年に、わたしは見ず知らずの人間に殺されかけた。幸い、軽傷であった。たくさんの警察関係者、医療従事者にわたしは囲まれた。捜査本部も設置され、それなりに大きな事件となった。サスペンスドラマでしか見たことのない、おとり捜査が実際に行われていることもこの時初めて知った。犯人が捕まったという知らせを受けることはなかった。
この時のわたしの精神状態は、明らかに異常であったと思う。
だが、この時わたしの頭は、非常にクリアになっていた。
わたしは、ようやく目が覚めた。
この時、はっきりと認識した。
理不尽に命を奪われるかもしれなかった一瞬の恐ろしい出来事より、
恋人からなじられ続けた10年のほうが辛かったということに。
それは、今まで閉ざされた狭い世界の中で生きていたわたしが、この世界には声をあげれば助けてくれる存在が居るということを目の当たりにしたからでもあったし、社会の中でごくまともに生きている人たちと接した中で、自分の置かれている異常さに気が付いたからでもある。
そしてやはり、わたしはこの事件で傷付いてはいたが、至って冷静な自分に、これまでの10年に受けたものの大きさを感じ始めていた。
これ以上この人と一緒に居たら、わたしは死んでしまう、と思った。
わたしは恋人に別れを告げた。
泣かれても喚かれても死ぬと脅されても結婚したいと言われても、
わたしの心はもう1ミクロンも動くことはなかった。
心は凍てついていて、彼のために使える心のエネルギーは、砂の一粒ほども残されてはいなかった。
彼の部屋に荷物を取りに行った際に、携帯電話を真っ二つに折られ、軟禁されたが、トイレに行くふりをしてバックだけ持って逃げてきた。彼とはそれきりだ。
実家に戻り、仕事に行くことと帰宅して潰れるまで酒を飲むことと、目覚めてから仕事に行くまでベットの上で泥のようになっていること以外、なにもできなくなった。職場では至って普段通りに振る舞うことができた。誰もわたしの身に起きた異常な事態に気付く人は居なかった。
外出が恐ろしかった。殺される恐怖がいつもわたしにまとわりついた。感情が動かなくなった。テレビも映画も小説も漫画も見ることができなくなった。体重が減った。ふとした瞬間に涙がこぼれると、蛇口が壊れたように止まらなかった。どうして泣いているのかはわからなかった。
だけど一番の恐怖は、どこに向かえばよいのかわからないことだった。
16の頃から、恋人のために生きていた。わたしは生きる目的を見失い、途方に暮れた。
家に、愛がなく、わたしは他人にそれを求めた。
求めた他人にも愛はなかった。
親のために生き、恋人のために生き、
わたしは自分の人生の生き方をまるで知らなかった。
足掻き続けてここまできた。生きて、今、穏やかな毎日を送れていることは、奇跡のように思う。
わたしがまるで地獄のような日々を過ごしたのは、なぜだったのか。
わたしは、自分に罰を与えていた。
自分には罰がふさわしいと思っていた。
苦しみがふさわしいと思っていた。
だから罰を与えてくれる人の側に居た。
もちろん暴力を加えられることを、欲していたわけではない。
わたしはいつでも、幸せになりたかった。
わたしは無意識に、罰を求めていた。
それは幼少期に否応なく植え付けられたものだった。
わたしには、罰がふさわしい。
わたしには、愛を受け取る資格がない。
わたしには、生きている価値などない。
わたしの潜在意識は、それを固く握りしめていた。
わたしの無意識が、罰を欲していた。
わたしの「生」を否定する存在を求めていた。
答え合わせみたいに。
あの頃のわたしに、問いたい。
あなたが
求めていたのは、愛ではなかったか。
欲していたのは、愛されることではなかったか。
本当に欲しかったものは、
ただ優しく抱き締められることでは
なかったか?
苦しみがふさわしいなんて嘘だ。
本当は罰なんて望んでない。
あなたが
ほんとうにほしいものはなに?
たくさんの人の声が、あなたの本当の声をかき消してしまった。
たくさんの騒音が鳴り響いていて、あなたの声は聞こえなくなってしまった。
かき分けて、かき分けて、
あなたのその小さな小さな声を聞いて欲しい。
小さく小さく縮こまっているあなたに、辿り着いて欲しい。
辿り着けたなら、優しく背中を撫でて、抱き締めてやって欲しい。
そして「大丈夫だよ。」と声をかけてあげて欲しい。
愛される『資格』など
生きる『価値』など、
そんな基準は始めから存在しない。
それはあなたが誕生した瞬間からあなたの中にずっとある。
どんな時でもあなたの内側にいつもある。
誰も教えてくれないから、
わたしたちはそれを忘れているだけだ。
世代間で受け継がれてきたものを、断ち切ることは容易ではない。
だけど不可能ではない。
受け継いだ毒は、私の代で終わりにすると、私は心に決めている。
だから、いつも問う。
自分に罰を、与えていないか?
自分を責めていないか?
自分を否定していないか?
軽やかに、今日を生きる。
自分のままで、生きる。
私の未来が
子どもたちの未来が、
笑顔であるように。