毒親育ちの私は娘の不登校で人生が救われました
現在小学4年生の長女は2年生の頃から不登校です。
現在1年生の次女は、入学当初は少し行けていましたが、今はほとんど行けていません。
二人とも、完全不登校ではなく、平均して週2日程、2~3時間のペースで通っています。
以前、こちらの記事にも書きましたが、
私は不登校自体は”問題”であると捉えていません。
その子が自分の人生を幸せに生きて行くために起こる、必要な出来事だと思っています。
自分の持つ特性や性質を理解し、社会の中でどのように生きて行くか、それを模索し見つけるための期間であると捉えています。
家では勉強もしつつ、自由に穏やかに日々を過ごしていますが、
私の心が穏やかに、子供たちと過ごせるようになるまでには時間がかかりました。
以前は不登校を問題だと捉え、どうすれば学校に行けるようになるのかばかりを模索していました。
長女が不登校になり始めて、何とか学校に行かせなければと考えていた時は精神的にもとても辛く、日々張り詰めた状態でいました。
自分と娘が社会から取り残された感じがして、孤独と焦りと不安に襲われていました。
自分の子育てが間違っていたのではないか
私がおかしいから娘に影響してしまったのではないか
私が全部悪いのではないか
そんな考えが頭の中をぐるぐるして、
事あるごとに自分を責めては落ち込むことを繰り返していました。
そんな中で、X(Twitter)で見た不登校に関する呟きをきっかけに、私はあることに気が付きます。
それは私自身が「毒親育ち」であったことで、自分の体験を基にして気付いたことです。
そのことについて書きたいと思います。
これは不登校に関して、私が一番伝えたかったことです。
これを伝えるために、娘たちの不登校についてnoteに書こうと決めたといっても過言ではありません。
この気付きがなければ、私は今も、泣きわめく娘たちに向かって鬼の形相で怒鳴り散らかす日々を送っていたかもしれません。
この時の気付きがあったから、
今、私の人生が動き出し、
不登校でありながらも、娘たちと優しく穏やかな日々を過ごせているのだと思います。
そしてそれは長い間悩んできた母との関係性にも変化をもたらしました。
不登校の子供を支える親が、親子が、
強い孤独感を抱え、自責の中、困惑の中、苦しむ心情を私は自分の経験から知っています。
人の悪意のない言葉にも、過剰に反応し、傷付いてしまうこともありました。心がとても張り詰めた状態でした。
そういう中で葛藤している方を、不要に傷付けたくはありません。
また傷付ける意図もありません。
あくまでも私自身の体験として、感じたことを正直に書きたいと思います。
耳障りの良い言葉ばかりではないと思います。
この記事が必要だと思う方に届けるために、また個人的な内容も多く含まれるために、有料記事とさせていただきます。
お子さんの不登校に悩む方、毒親育ちで子育てに苦しんでいる方に向けて、書きたいと思います。
皆さんの毎日が、喜びで満ちて行きますように。
娘の不登校
始めに、娘の不登校について書きたいと思います。
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