同じエネルギー
これまで私が長年抱えてきた『自責の念』は、母によって背負わされたものだということに、はっきりと気が付いたという記事を先日投稿しました。
これまで漠然としていたものの輪郭がはっきりとした感覚でした。
漠然としたものの『正体』が見えることで、それに対処することが出来ます。
これまでその自責の念は、抗えず、私の底から湧いてくるもので、私を打ちのめすものでした。
しかしそれは、母から植え付けられたものでした。
私のものではありませんでした。
正しくは、「私の底から湧いてくると思っていた」ものでした。
まったくの無抵抗な赤ん坊の頃から、母親によって与えられていたものでした。
僅かな、認識の違いに過ぎないかも知れません。
ですが、私にとっては大きな違いでした。
湧き上がる自責の念は、母によって植え付けられたもの。
母は、他責の人です。
一方、私は自責の人です。
それらは一見、正反対に見えます。
外側に責任を負わせる人と、内側にすべての責任があると考える人。
これまではそれを、異なるものだと考えていました。
『自責は辛いが、人のせいにするよりはマシだろう』と。
母よりは、マシだろうと。
ですが、私が抱えていた自責の念が、母によってもたらされたものだと認識できたことにより、気が付きました。
それは、同じエネルギーであると。
自責の念が、母によって植え付けられたものならば、
それは母の中にあったものです。
母は自身の無価値観を、
娘の私になすり付け、
それは形を変え、
私の中で『自責』という形になって留まることに成功しました。
自責は、そうやって母から受け継いだ『毒』なのです。
そうであるならば、
私が強い自責の念に支配されて自己否定を続けている時、
子どもたちの不登校も不安感も、すべて私が原因だと自分を責めている時、
すべて私が原因であるからと、自分の生命の在り方を疑っている時、
私は母と同じエネルギー状態にあるのです。
それが自責であろうと、他責であろうと。
同じ、負のエネルギーです。
矢印が、内側を向いているか、外側を向いているかの違いです。
刃を、自分に向けているか、人に向けているかの違いです。
それが、母から受け継いだ母と同じエネルギーを持ったものであるならば、
私が自責の念に囚われているいる以上、それは娘に伝播します。
あんなに恐れていた、毒の連鎖をさせてしまうことになります。
私は専門家でもないし、カウンセリングを受けているわけでもありません。
ですから、この考えが適切かはわかりません。
あくまでも、一個人の考えに過ぎないことをご理解いただけたらと思います。
長年抱えてきた自責の念は、母に植え付けられたものだった。
母から受け継いだものである以上、それは母と同じエネルギーを持つものだった。
これらの気付きは、私が本当に生きたい人生を生きるための、大きな転換点になるのではないかと感じています。
これまでのような自責の念が沸き上がってくることがあるのか、
沸き上がったとしても、それを手放すことが出来るのか、
今の時点ではまだ不明ですが、
私の中で、
エネルギーの流れが変わっている最中であることは、
事実のように思います。
子育てに関しては、
娘たちは私から産まれ、私が育てている以上、私の影響を受けていないはずはもちろんありません。
現在、子どもたちに関して、「問題」に見えることも、
その原因は母親である自分にあると考えて、自分を責めてしまうことは誰にでもあることだと思います。
ですが、やはり、
大事なのは、「今」と、「これから」です。
今の在り方と、これからの在り方です。
毒親育ちは、大きすぎるハンディキャップを抱えています。
ですが、言うに言われぬ様々な苦悩を抱えてきた私たちの、本当の生きたい人生は、「今」「これから」始まります。
逆転劇は、ここからです。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。