光を知るための闇
「建設的」の対義語は「破壊的」です。
当たり前のことですが、先日読んでいた本の中でこの二つの言葉に触れた時に、はっとしました。
自分の存在を肯定する言葉、
希望が持てる言葉、
愛を感じられる言葉、そして振る舞い、
それらは建設的なものです。
対して、
自分を否定する言葉、
希望を奪う言葉、
愛とは真逆の言葉、振る舞い、
これらは、「破壊的」なものです。
子供を産み、育てること、
食事を与え、体を育むこと、
言葉を教え、成長を支えること。
それらは建設的なものです。
しかし、「毒親」は
建設的でありながら破壊的です。
外側を建設しながら内側を破壊します。
あるいは外側の建設すら放棄する親も居ます。
”命をもらい、育ててもらったのだから、感謝すべき。”
”毒親などと言ってはいけない。”
そういった声を聞く時があります。
その考えを持つ人を否定するつもりはないし、皆が同じ価値観に立つ必要もありません。
同時に、それらの意見を正しいものとして、
絶対に守るべき人間の真理として、
受け入れる必要もないと思っています。
「毒親」という言葉、概念。
そこを通らなければ、『自分』に辿り着けない人は多く居ると思うのです。
そこを通らなければ、『自分の命』を肯定できない人は多く居ると思うのです。
そこを通らなければ、『自分』を何かのために犠牲にし続け、傷付け続け、苦しみもがく人生を、幸せに転ずることが出来ない人は、多く居ると思います。
人間は生まれてから一人では生きられません。
産んでくれた親の、
養育してくれた誰かの手を借りて、
私たちは大人になります。
産み、育て、
食べ物、眠るための場所、衣服、知識、経験、
それらのすべてを与え、命を守ってくれた人たちに、
私たちは恩があります。
それらの恩に報いる生き方は、
人として正しく、美しく、また力強い生き方だと思います。
ですがそれを、できない人も居ます。
心を破壊され続けたからです。
報恩も、感謝も、
「心」から湧いてくるものです。心が感じるものです。
その心がズタズタに破壊されているのです。
心が破壊され尽くした人に、
感謝をせよ、恩に報いよ、という言葉を投げかけるのは、
残酷なことではないかと思います。
その人の心を無視しているからです。
言葉や概念に対して、
何を感じ、何を受け入れ、何を拒むかは、
各々自由です。
正解も不正解もありません。
ですから、
親には感謝をすべきという考えも、
「毒親」という言葉を避けることも、
正解でも不正解でもありません。
だけどそれが出来ない人が居て、
その人たちは感謝を感じる心が破壊されている状態だということを、
想像することは、
建設的なことだと思います。
感謝の心も、
恩に報いる生き方も、
誰かから強制させられるものではありません。
唯一無二の自分自身の「心」から、
湧いて出て来るものです。
その自分自身の「心」を取り戻す前の人に、
感謝を「すべき」と言うのは、
それがどんなに人として正しくとも、
なんだか冷たく、硬く感じてしまいます。
かく言う私は、両親に対して、
感謝をしています。
それはこの世に私を産んでくれたことへの感謝です。
闇が深ければ深いほど、感じる光は大きいとよく言います。
私はそれは真実だと思います。
今、闇の中に居る人は、そうは思えないかもしれません。
でも私はそれは真実だと思っています。
そして、その闇も、光も、
私と言う存在がこの世に誕生したからこそ生じたものです。
出来れば、深い闇なんて経験したくなかった。
愛されて、存在をまるごと受け入れられて育ってみたかったです。
でもそれが無く、生き辛さを抱え、自分をとことんまで否定しながら生きてきて、
今、ようやく、それらを光に転ずることが出来るようになってきました。
長くかかりました。
今、感じている幸せも、
今まで感じてきた絶望も、
命あってこそです。ですから、その命をくれた両親には感謝をしています。
ですが、私が感謝をしているのはそれだけです。
命をくれたことにのみ、感謝をしています。
両親もまた、自分の親から心を破壊され、育ったのだと思います。
まさか自分たちが子どもを内側から破壊しているなどとは思わずに、一生懸命私を育てたのだと思います。
だからといって、
それらの養育のすべてに感謝出来るかと言ったら、
それは出来ません。
私が感じてきた苦しみはそれ以上だったからです。
私が、闇を光に転ずることができたのは、
自分のために、感謝したからです。
私という命をこの世に生み出してくれた、という事実に感謝をしたのは、
私のためです。
【自分という命を生み出してくれた親に感謝をするということは、
最も強く自分を肯定することだ。】
という言葉に出会い、心の底から納得したからです。
無理やり、誰かに感謝の心など持とうとしなくたっていい。
感謝は、自分のためにするものだと私は思います。
自分のために、感謝をしてください。
自分のために、自分の心が素直に感謝できることに対してのみ、感謝してください。
自分のために生きてください。
自分のために生きる中に、光があります。
自分のために生きたその先に、たくさんの感謝があります。
そして自分のために生きて、
自分の人生を幸せに生きることこそが、
報恩だと私は思います。
報恩は無理にするものではない。
おのずと生じるものです。
闇を光に転ずる力を、本来、人は持っています。
本来のあなたは、
本来の自然なあなたの中には、
感謝も、報恩も、光も、愛も、
ぜんぶあります。
大丈夫です。