Akio Shimamura / 灯りと対話
こころや思考に浮かんだことばを 書き記しています
毎月の新月のはじめごとを綴ります
自分にとっての「満月の手ばなしごと」を書いています
武田双雲さん「丁寧道」の実験実践の記録です。
あなたのなかにあるえがお そこに映るのは だれのなに
2023年も今日で終わり。 今年も様々なご縁のなかでたくさんの人にお世話になりました。 大きな巡りの中で出逢ってくださったみなさま、本当にありがとうございました* そして大晦日でもあるので、個人的振り返りアウトプットをしたいと思います。自分の場合こういうのはだいたい、長文になりますね笑。 ≫_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ ○作家活動について 今年は1月からの原毛マットの灯り試作に始まり、4種類の新しい作品が生まれました
お米を洗うとき、ふと音に耳がとまった。 どこかで聴いたことあるような音ざわり。 繰り返し米粒を掬っては落とす。掬っては、落とす。 そうか。波だ。 打ち寄せては引いていく、砂浜の波。 お米を掬う感触は、ひんやりしていて気持ちがいい。 思わぬところで陸の命と海の息吹が繋がってしまった。 今日も豊か。
「点々」 形も色みも奥行も 不均一なカップの取っ手の点々たち 下地のグラデーションも相まって 気色わるさを感じない その淡い境界線と 星空のような奥行が心地いい あらためて、文章を書くこと、言葉を紡ぐことを 習慣化しようと思っています。 大きな目的としては、五感の体感知を増やしたいことがあります。 例えばいま、目の前にあるマグカップがあります。 ぱっと視界に入るだけ、何気なく掴んで飲むだけの場合、 カップに存在しているものを、どれくらい知れているでしょうか。
地球と生き物の暮らしを考えたとき 一体何から手をつければいいのか わからなくなるような埋没感を 感じてしまうときがある 地球の存続が必要な道筋なのか 消費する中での変化の経験なのか 全ては夢の中で粒のひとつなのか 今目の前で起こっていることと 個の今を生きることとは 本当に自らの世界だけなこと なのだろうか この選択が運ぶ先と この今の現実が 経験させたいものはなんだろうか ぼくから見える今の世界は 一方で 削り消費されている 日本でいえば 命に近いことが離され 支配
雨が降る、川嵩が増す 雹が降る、車が傷つく 風が吹く、草がなびく 陽が照る、地面が乾く 水を飲む、喉に流れる そりゃそうだよなって思う そんなものだよなって思う 実はそんなものだらけなんじゃないか 事実はそこにある 真実はそれぞれにある ミクロの世界も マクロの世界も 一羽飛んできた鴨が 川に着水したら 草陰から2羽現れて 一緒になって飛んでった きみたち友達だったのか それとも家族 あぁ、今日も愛らしい世界がここにある
ここのところ薬も飲まず、耳鳴りも時折ある程度だったのだが、おそらく昨日の行動により悪化。 その経緯を記録。検証。 ・日中パソコン、スマホ仕事をする ・外部とのやりとり多かった ・ほどんど座っていた ・肩、首、肩甲骨あたりのコリや硬さを感じる ・夜22時〜23時に再びパソコンに向かう(これは最近避けていたこと) ・眉間、目のまわりあたりにコリを感じる ・寝つけなくなる ・寝るのを諦めて、ベッドの中で2時までスマホで探し物をする ・ちょっとお腹が減りだす ・枕のフィット感にいつ
新月のはじまりごとと 満月の手ばなしごとを 開いてみようという思いつき 《自分の名前を意識してみる》 それはあなたに贈られたものでもあり それはあなたが選んだものでもある その言葉に秘められた 意味 音 流れ それを感じてみようという意識 とらわれず 柔軟に 受け入れてみる試みを
ジャーナリングでコーチングと向き合う。 後半のテーマは以下のものだった。 「問い」をつくるということが思いのほか難しく、苦慮しながら3回書き直した。 深めるために向き合いたい「問い」と言われ、正直どこから手をつけたらいいのか惑った。 なのでまずは、下手くそでもただひたすらに問いを出してみたのが第1稿だった。 途中で過去からの追体験をなぞろうとしたのだが、次第に脳内での思考と感覚の連想に進んでいった。 何を深めたくて、何と向き合いたくて、そのことを「思い続けるための問
この1カ月、まるで精神と時の部屋に入ったかのように取り組んできたことがある。 それは「ジャーナリングでコーチングと向き合うこと」だ。 3月の前半後半でテーマをもらい、 ひたすらに思考と感覚を文字に打ち込んでは読み返し、また思考を繰り返してきた。 その濃さは、自分の経験としてはここまでのものはなかったのではないか。 トライアルの試みとして、他2名の方とテーマを共有し取り組んできた。限られたメンバー内のみのクローズド環境での書きものだったので、自分のための言葉も多くあるが、
今の器に合ったものが現れるから その生き方に沿うように 無理せず欲張らず 過ごしたいなぁ
約3週間前に発症しだしたタイトルの難聴。 せっかくのお付き合いなので、書き残しておこうかと備忘録。 ある日、片耳(右)が塞がったようになる。 まるで水の中にいるみたい。 前の日に耳掃除をしたから、 あれ、どこか傷つけちゃったかな? なんて思っていた。翌日にはほぼ治っていた。 そうしていたらその1週間後くらいに、再び塞がる。 おかしい。耳掃除はしてないぞ。 パートナーに耳だから早めに病院に行ったらと言われ、 翌日空いていたので、これは行けってことかぁと 急遽病院行きを決める
今世の役割を感じさせるできごと 湧き上がったものを唯々打ち込んだ記録
じぶんであることを感じ じぶんであるための選択をし続けること 世界も身の回りも 絶えず変化していくなか この感覚をじぶんの真ん中に置いていくことは きっとわたしの星魂を生きていくために 大切なことなんだろう だから学んでいく じぶんであることの感じ方を だから挑んでいく じぶんであるための選択をすることを そして向かっていく じぶんの源であるところへ そして気づいていく そこに距離はなく 時間差もなく そのままの源であったことを 2022.2.28 Mon /
今日はアタマの中が散らかって整理がつかないので、お休みしますー*
先日の記事で振り子と生について、浮かぶままに書いてみた。 その振り子と生を想像したとき、 ペンデュラムやフーコーの振り子などが立ち現れた中、 ミヒャエル・エンデの「モモ」の1シーンが思い出された。 モモがマイスター・ホラに連れられて向かった池。 そこには星の振り子があり、 対極に振れていくごとに花が浮かび、中心に戻るごとに散り沈んでいく。 そしてまた対極へ振れていくと別の花が浮かんでいく。 どれもが一番綺麗だと思える花が。 わたしたちはひとつひとつの星であり、中心が在る