地球と生き物の暮らしを考えたとき
一体何から手をつければいいのか
わからなくなるような埋没感を
感じてしまうときがある
地球の存続が必要な道筋なのか
消費する中での変化の経験なのか
全ては夢の中で粒のひとつなのか
今目の前で起こっていることと
個の今を生きることとは
本当に自らの世界だけなこと
なのだろうか
この選択が運ぶ先と
この今の現実が
経験させたいものはなんだろうか
ぼくから見える今の世界は
一方で
削り消費されている
日本でいえば
命に近いことが離され
支配されてしまっている
山 水 植物 空気 土 栄養
知恵 治癒 意識 時間
感覚 想像 喜び 幸せ
数量と心理の応用で
いとも簡単に流れていく
一方で
個の全うを目指している
意識 思考 魂
それらは共存するのか
現実化するのか
はたまた幻なのか
反面
日々は心地よいことで
散りばめられている
口にするもの 猫の毛ざわり
心に触れる会話 あたたかな陽射し
想うこころ 吸い込む風
.
なぜ
命に関わることを大切にできない
世界が広がっていっていると
思ってしまうのだろうか
なぜみんな
命と命に近いことへ
大切にエネルギーを使って
いきづらくなっているんだろう
それがヒトなのか
それが経験なのか
じゃあ自分は何を経験するの?
何をキャッチできて
何を選んでいけるの?
たぶんまだ大元がある
そこに気づいていなくて
指針が上っ面なのかもしれない
身体を養うもの
取り入れるもの 巡らせること
心を養うもの
体感と直感と思考
思考も要すると思う
死生観
命を取り込んで生きながらえる
という事実
死の捉え方と争う思考との調和
.
無常と快適の交叉点はあるのか
破壊と想像 生と死 無常と遺伝
そうか
そのすべてがあるから 現実がある
.
何かのための命ではなく
命のための時間にしたい
はじまりは 己からしか生めない
いったいこの地球上には
何個の命があるのだろうか
そしてこの宇宙 はたまた
宇宙と呼ばれている領域には
いったい何個の粒が
存在しているのだろうか
それだけのものか
なければいけなかったのか
それだけのものがあっても
よかったのか
それらが
繋がったり離れたりしながら
何かになったりならなかったり
しているんだろうか
わたし これと繋がってみました
こんなんなりました
なるほどなるほど
じゃあこっちは?
なるほどなるほど
あ 時間のようです
じゃあ一旦終わります
またよろしくどうぞ
そんなことを
数えきれないほどやっている
中のひとつひとつなんだろうか
.
それならばぼくができるのは
いま 選ぶことだ
あぁ 結局またここに辿り着くのか
己が 選ぶこと
命のための時間になることを
なるべくね ちょっとずつでも
ここがまたひとつのスタート
.
結局 あたりまえのようなことを
なぞっただけかもしれない
それでも
この目の前の世界が
ヒトや自然や各種である前の
生き物である前の
原子分子である前の
エネルギーである前の
その意味に気づいた上で
エネルギーであり
原子分子であり
生き物であり
自然であり
人である
その命のための時間を
選んでいく
身 心 感 繋
気づこう
知ろう
対話しよう
そして
選び 繋がろう
.