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能無しとは

懲りずにNetflixを観ている。
『Breaking Bad』のスピンオフである『ベター・コール・ソウル』を観ている。

シーズン6まであるので、かなりのボリューム感を感じている。
そういうボリューム感って案外プレッシャーになるもので「観たいけど、観始めたら観始めたでそれに時間を割かれるわけで、果たして今観始めても大丈夫なのか?」的な思考に襲われる。

でも『Breaking Bad』を観切り、『ベター・コール・ソウル』を最新話まで観ている人たちからは「早く観たほうがいい」的なことばを振りかけられる。

確かに『ベター・コール・ソウル』のシーズン6の最新話まで行ってるひとからすれば「早く観て、早く追いついてくれ」ということなのかもしれないが、1話50分×10話×5シーズンだぞ!

そう簡単に観進めることも出来ないし、今現在、シーズン1の5話まで観たのだが、やはりドラマでも演劇でも作品冒頭の“立ち上げ”が難しい。
面白くないわけではないが、抜群に面白いわけでもない。でも抜群に面白くなるのだろうという推測は立つし、5話くらいまで来るとドラマの動き出しを感じたりもする。

『ベター・コール・ソウル』の主人公ジミー・マッギルはうだつの上がらない弁護士だ。
仕事なんかなく、ネイルサロンのボイラー室に弁護士事務所を構えている。でも口は達者で、いや、口ばかり達者なのだ。

それが彼にとって仇なしている。

口が達者であるというのはストロングポイントになりうる。
でもそこに甘えて、実の部分がついてこない。

今の自分とふと重ねてしまう。
僕はうだつの上がらない俳優だ。わざわざ自分を卑下する必要もないのだけど、自分から俳優としての仕事を取り上げられたとき、何者でもない感覚に襲われる。

でも対外的には「俳優である」と胸を張って言ってしまう自分がいる。
SNSという理想の自分を演出させる装置において、自分は「俳優として頑張ってます!俳優以外にも色々やってます!」を演出させられている。意識的にも無意識的にも。

口ばかりが達者で、実がない。

『ベター・コール・ソウル』を観進めていけば、自分と重ねてしまっているジミー・マッギルとの決定的な分岐点が訪れるのだろうか。
ドラマの世界だから運良く上手いこと軌道に乗ってしまうのだろうか。それが分岐点になるのだろうか。

不意に表現の場を失ったぼくには散歩をするくらいしか能がないらしい。

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