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やれることは、やる!

後見人が、定期報告に来られた。
68歳の方だ。
私は、後見監督人。

一通り報告が終わってから、相談があるという。
被後見人(自分の母親)の入院費の支払いに行くのを誰か他の人に頼んでもいいかという相談だった。

後見には真面目を絵に描いたような方。
後見人の職務として、なんでも自分でやらないといけないと思っておられたようだ。

後見人の職務は、身上監護と財産管理。
どちらも、システムを作り、うまく動くようにすればいい。
自分で被後見人の背中を摩ったり、誰かに頼める銀行に行って振り込みとかを自分でする必要はない。(ちゃんと振り込まれたか、確認する義務は当然ある。)

ところで、


なぜそのようなことを聞くのかと尋ねた。
最近病気がちで、外出が辛いとのこと。

病気は何かと聞くと、脚が股関節あたりから痛く、夜もよく眠れないのだとか。病院で調べてもらっても、どこも悪くないと、痛み止めを出してくれただけだという。

病院へ行っても原因がわからず治らないのなら、痛いの痒いのと言っていても始まらない。自分でなんとかするしかない。

骨に異常がなく、何らかの疾患にもかかっていないのなら、それは筋肉あるいは腱からくる痛みだ。

対処方法は、筋肉の緊張をとること。
やり方はある。
しかし、その知識も技術もないなら、ストレッチ。これ一択。

と、説明したら、ストレッチしたくても痛くてできないと言われた。
ストレッチって、180度開脚とか200度開脚を考えてません?。
北京雑技団をイメージしてません?

そんなのは、(できるようになると思うけど)先の先の話。
今は、やれることやる。
やれることというのは、痛いところをストレッチして、痛みの我慢できる程度でいい。

我慢できる程度と言っても、ああいやだ、二度としたくない、となるようなところまでしなくていい、ちょっと我慢程度。

それならできるでしょうと言ったら、それで効果あるのか、というような顔になった。
効果って、いっぺんに5cmも10cmも伸びるなんてことを考えてるんじゃありません? 
そりゃ無理です(もっとも超初心者で、今までやったことのない人だったら、一瞬で5cmくらいは楽勝で伸びる方法はあるけど)。

1日、0.1mmです。
1cmでも1mmでもなく、0.1mmです

計算してみればわかる。
1日1cmで、1年たったら365cm、つまり、3.5m!
1日1mmでも、1年で36.5cm。
あり得んでしょう。(普通は)

妥当なところは、0.1mm。
これで、年間3.6cm。
普通の人が、3.6cm 体が柔らかくなったら、全くもって上出来です。

ということは、日々のストレッチをやっても、効果は全く目に見えない。
しかし、効果は着実に出ているのです。
効果が実感できなくても、継続してやる!
一年後に、今日の自分と比較してみればわかる。

私は、トレーニングを始めた時は、直立しての前屈は、指先が20cm以上床から離れるところまでしかできませんでした。
現在は、床に手のひらを完全に着けることができますし、毎回毎回、どんどん柔らかくなっているのが実感できます。

そのうち、気がついたら痛みも消えています。
断言できます。
骨折もない、疾患もないなら。

ついでに、筋肉も鍛えなければ、と言ったら、ふらついて倒れるという。
何を言っているのか!。
ふらつくなら、何かに掴まってやればいいではないか。

治す方法があり、やり方もわかり、なおかつ、地獄の特訓をやる必要もない(やってもいい。やり続けられたら、それはそれで楽しくなる・・・らしい)。

ここまで言ってしないのは、できないのではないやらないのだ。

痛いの痒いのと、口にしていてもいい。
どうせ、加齢と共に衰えるのだ、仕方ないと逃げ口上とも諦めともつかないことを言い続けてもいい。

同病愛憐れむ。
何もしない同類が同調してくれるだろう。

事態は変わらない。
いや、日々悪化していく。
それにつれて、意識も変容していく。

ふたたび、どうせ人は死ぬのだから仕方ないとか言い出す。
だけど、「どうせ」とか言って、あたかも何をしても結局全て無に帰するのだから、無駄だと言うのは明らかにおかしい。

なぜって?
自分を振り返ってみればいい。

そんなに目的に向かって、一直線に生きてきました?
目的に向かって一直線に生きていますか?
目的達成に関わらないものは、全て無駄と、効率重視で生きてきましたか、生きていますか。

全てイエスの人は、一万人に一人より、少ないはずです。
だから、無駄がどうのこうのとは、何を今更なのです。
単なる、言い訳にすぎない。 

たしかに、人(他人)は、死ぬ。
日々見ているからわかる。
だけど、自分が死ぬかどうかはわからない。
だってそうだでしょう。
死んだ時は、すでに生きていないので、死んだことはわからない。

だから、誰も自分が死ぬことはわからないのだ。
屁理屈と思うかもしれないが、事実そうなのだ。

ということは、死んだらとか考えて、ウロウロするのではなく、生きていることを前提に考えればいい。
(あくまでも自分のことであり、プロジェクトとか組織のことは別。自分が不在の時のことは考えておくべきだろう。)

つまり、やれる事はやる。


じゃないかな。







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