②私が「クリエイター漫画」が嫌いな理由。もしくは「ファッショナブルでアーティスティックでコミュ力高く、かつ自然体で柔軟で臨機応変な人材たれ」という要請を社会から受け取った少年はどのように歳を喰っているか(ゆとり世代Ver)

前回記事(①)はこちら↓

前回は、まず私が考える「クリエイター漫画」とは何か。その例と例外について記載した後、じゃあなんで嫌いなのかという話の頭出しをしたところで終わりましたので、その続きを。

先に嫌いな理由を大別して述べておくと下記のようなものになります。
A. 嫉妬
B. 資本主義的価値観と、ポストフォーディズム以降の社会が要請する新自由主義が求める人材の要諦を、世間や若者に「良いもの」として浸透させる体のいいツールとして機能しているのではないかと、いう疑いから。

前回記事より

Aだけ取り上げると、大変わかりやすいと思います。
嫌いになったり、不快な感情を抱く要因の代表の一つ「嫉妬」。

私は「クリエイターになりたかった人間」であり、「今そうではない」からこそクリエイターまたはそれを目指す人間の、挫折や敗北も含めた熱く真摯なストーリーが眩し過ぎて憎らしい、というわけです。
しかし、これは私にとってある側面では紛れもなく真実であるものの、別の見方をした時に完全ではない、それどころか間違いですらあるかもしれないのです。
そこを補完するのがBなのです。AとBは、私の中でそれぞれが相互に作用しあっている。

何の説明にもなっていなくて申し訳ない。
このテキストは前回も記載した通りどこまでいっても「この社会に生きる私」の話でしかないので、私の人生の説明をしない限り始まりません。
そこからやらせてださい。

まずは生まれ年から。
(しつこいぐらい記載させてもらっているように、私と私が生きている社会の話なのですから年代は大事です。そうでなくとも、社会のこと抜きに自分の話など皆できないのではないかと思っていますが)
1989年の春に生まれた、いわゆる「ゆとり世代」。
ゆとり世代とは何かを今一度振り返らせてください。私にとって、重要なので。

文部省が社会性の向上や倫理観の構築を目指して「生きる力」を教育の目的に掲げ、1998年に「ゆとり教育」というスローガンの学習指導要領を完成させました。小中学校では2002年度(平成14年度)、高等学校では2003年度(平成15年度)からこの学習指導要領が施行され、完全週5日制と学習内容の削減が開始。
(この教育方針の始まりは、1970年代に詰込み型教育に対して疑問の声が高まったことにあります。)
この「生きる力」というのは、「自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力のことです。また、自らを律しつつ、他人とともに強調し、他人を思いやる心や感動する心など、豊かな人間性であると考えた。
たくましく生きるための健康や体力が不可欠であることは言うまでもない。

一部を「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」より抜粋

2002年にゆとり教育の名の下に、この学習指導要領の施行が実地されたその時、私は中学1、2年生。

ただ、私は中高一貫の私立の学校に入っており、学校の方針が(確か)「ゆとり教育の新学習指導要領導入による学習時間の減少や質の低下を問題視する」ような方向性だったので、週6日制でしたし学習内容も削減もされなかった。
元々勉強が好きではない性分だったこともありますが「文部省が定めた、つまり社会のトップが決めた新しい教育方針の元で、公立に行った友達は楽しく伸び伸びやれてそうなのに、なんで私はこんなコンセプトだけ変に厳しくて、でも実際何の成果も上げれていない中途半端な底辺私立学校に通い続けなければならないんだろう」というようなことは感じていたように思います。

ゆとり世代の説明のせいで、出生からいきなり中学まで話が飛んでしまいましたが私が、「クリエイターになりたい」と考えていたのは、そのもっと前からで、おそらく小学生の3,4年生ぐらいだったと思います。
元々、小さい頃から絵を描くのが大好きだった。絵が上手いねと大人にも友達にも褒められる機会が多かったことで、調子に乗って授業中もずーっと落書きをしていました。もっぱら漫画のキャラクターを真似したものが大半でしたが、美術の時間の風景模写も好きだった。葉っぱを描くのが好きだった。
明確なきっかけなどはなく、そういう日々を過ごす中で自分は「絵を描いて生計を立てる人間」に間違いなくなるんだと、そう思っていました。確信していた。

ただ、私のアウトプットは落書き帳やスケッチブックへの素描未満のものにとどまり、明確な作品の完成や発表というものは、授業の提出物や全員参加のコンクールを除けば全くありませんでした。

中学でもそんな感じで、授業中は落書きして勉強はせず、テニプリの影響で入学したテニス部の活動だけ中途半端にやる気を出したり出さなかったり、作品の発表などするわけもなく漫然と日々を過ごしていました。
中高一貫だったおかげで高校には全く勉強せずにエスカレーター進学できてしまった私ですが、いよいよ高2高3になって将来を考えざる得ないタイミングがやってきます。

そんな時に出会ったのが漫画「ハチミツとクローバー」でした。
テニプリを読んでテニス部に入ろうと思った人間は、ハチクロを読めば美大に行きたがるものです。
かくして、「イラストレーターか漫画家になりたい」と漠然と考えていたけど何もわかっていないアホなガキに、美大という格好の選択肢が与えられました。

親に頼み込んで、高3で美大受験予備校に通わせてもらいましたがまさに井の中の蛙状態。
高1や、そのもっと前からちゃんと目標設定をして堅実にデッサンの訓練を積んできた同年代と比べて、授業中にサボって漫画っぽい絵を落書きしてただけの私では比べるべくもありませんでした。
が、それよりさらにダメージを受けたのは同時期入校した自分と同じレベルだったはずの男の子が努力とセンスで着々と実力をつけていく一方で私は全然上達しなかったこと。

でもね、不思議なことに「私が評価されないのは何かの間違えだ」と心のどこかでなぜか確信していたんです。だから大丈夫だった。
ブルーピリオドの八虎君と全く違っていて、笑えます。

何かって何なんでしょうね。おそらく「この評価システム自体が間違ってるから、全く問題ない。」というようなことを(当時は言語化できていたわけではなかったと思いますが)考えていたと思います。
(後々私がこのテキストで本当に触れたい部分の頭出しになるのですが、画塾の「スポーツや勉強と変わらない明確な評価と順位づけ」のシステム自体が、私がこれまで社会から受け取ってきた「豊かな人間になれ」という要請・コンセプトに、明確に反しているじゃないか。けしからん。という感覚だったのだと思います。)

向上心もないので、そのままデッサンは全く上達せず、色彩構成やそのほか美大の試験で出される実技項目の中でも光るものが何もない私でしたが、いわゆる「美大」ではなく学部として芸術学部を持つ某大学に何とか滑り込み入学することになりました。
「コミュニケーションデザイン学科」です。全て説明させてもらえればわかることなのですが、なんとも私(の人生)におあつらえ向きの学科名でした。

せっかく曲がりなりにも美大っぽいところに入学して、じゃあ作品とか作り始めたのかというとなんと、これが、全然作らない!!!
実技の授業時間内では手を動かしたものを提出はするものの、持ち帰りの課題などは結果的に適当にやっつけるだけ。

かといって、別に不真面目なわけではないんです。
課題に対してアイデア出しにはいつも本気で取り組んでいた。
でも、他と絶対被らない素敵なアイデアが浮かばないと取りかかれない(これがそもそもの間違い)というアホで無知の合わせ技の信念から、手を動かすところまで進まない。
で、期限ギリギリになって適当にやっつけただけの作品とも呼べないものを提出して終わり。その繰り返しでした。

デザイン学科の学生はだいたい、就職活動用にポートフォリオというものを作ります。作品集ですね。
学生時代にこんなものを作りましたよ。作れますよ。ということを示すためのもの。
デザイナーになりたいんだったら、「こういうデザインできますよ。」
アートディレクターとかプロデュース系に進みたいなら「学校内外でこんな企画を動かしてきましたよ。こんな課題に対してソリューションとしてこんなコンセプト考えられますよ。」とかをアピールしていく。

まあ当然、私はポートフォリオ作れないんですよ。載せるものがないから。授業で作ったものはあるけど、載せられるレベルのもんなんかないし、そもそもあんまり就職活動用のポートフォリオに授業内の制作物って掲載しない。そんなもん全員やってるから。だから、優秀な人たちは授業外の自分の時間で意欲的に創作したものを載せていた。(超余談ですが、要領のいいタイプは授業内での制作物をちょっとブラッシュアップしたり、それっぽく見せたりして労力割かずにポートフォリオ作ったりしてました。)

ポートフォリオがないから、デザイナーとかの技能系の職種の募集に応募できないんですよね。
詰みました。
なんとなくでも、美大っぽいところに入った私もここが年貢の納めどき。
生きていくためには働かなきゃいけないので、画材を扱う一般商社的なところに潜り込みました。
(最初は倉庫勤務でしたが、お声がかかったので部署移動して営業をやってみたら割と適性があったのがまた個人的には笑えるポイント。だって子供の時にはクリエイターと真逆の存在だと思ってたんですよ、営業って。ほらイメージで、「自由な心で創作に邪心なく真摯に取り組むちょっと浮世離れしたキャラクター」って、「数字と効率絶対主義で世慣れしてたり、逆に変にお堅かったりする営業」と正反対で相性悪い、みたいなのあるでしょ?ないかな?)

ああ、ついにクリエイターにはなれませんでした、といって諦めたかというとそうでもないところがまたすごい。

漫画を描き始めました。デザイナーとかになれなかったなら、小さい頃から一番好きだった漫画をやっぱり描こう!そうだ、漫画家になるのが俺の運命であって、だからデザインとかに本腰入らなかったんだ!ちょっと、遠回りしたけどやっと天職に向かって進み始められるぞ!と。
思い込みがすごいですね。

仕事はしながら、自分の中でも割と真面目に取り組んだつもりですが、いかんせん才能も忍耐力もどっちもない。せめて、どっちかはないとねぇ。
20ページほど読み切りを2.3作品書いて各社漫画賞に応募しましたが、ハシにも棒にも引っかからず仕舞い。

ここでようやく、自分の気持ちに大きな変化が訪れました。
本当は「心の底からクリエイターになりたいと思ってはいないのではないか」ということに気がついたのです。

まずそもそも、今まで『「クリエイターになりたかった」のか「創作がしたかった」のか』そのどちらかなのかさえ自分でわからない。
創作にある一定以上の興味関心を持っていることは確かではあるものの、それこそ「クリエイターもの」に出てくるキャラクターのような「性質」は持ち合わせていない気がする、、、。

ハチクロのはぐちゃんや森田のように。ブルーピリオドの八虎や高橋のように。あくたの死に際の黒田や黄泉野のように「生きるということは創作そのものであり、何か生まずにはいられない」とか「創作は他の日常のどんな行いとも違う代替不可能であるものであると感じる」というような性質は持ち合わせてはいないのではないか。

だって何にも造らなくても俺、生きてられてるし、、、、。

何も造らないまま、先に子供までいて子育てしてるし、、、、。何も造らないまま、先になんとなく働いてて、しかも家のために35年ローン組んだし。何も造らないまま、先に、、、、割とあらゆることしてきちゃってるな俺、、、。(何ならむしろ創作以外のことは結構やってきてる気さえする)
そして何より、創作しないでここまできた人生が不幸だったかというと、そんなこともない。

あ、これ、そうだわ。ほんとだ。
俺は「創りたい」と思ってないわ。

ただ、スッキリは全然してない。しこりは何故か残ってる。
クリエイター魂的な性質は私には「ない」。じゃあ、ないのであれば、私は漫画を読んで主人公に憧れた程度の夢とすら呼べないようなものを叶えられなかったことを今、悔やんでいるのか?そうでもないような気がする。
いや、自分の思い込みから、拘り続けて人生を無駄にした感覚もなくはないが、それでもそれもあっての今の俺だということは割と受け止められている気がする。じゃあ、モヤモヤの要因はなんだ。もっとスッキリと、創作を消費する側として普通に楽しむことができるようになるかと言えば、ちょっと微妙だ、、、。なんでだ?

というか、そもそも「何故、俺はそういうふうに思い込めた?クリエイターになるべきだ、なって当たり前だと思い込めたんだ??創りたいと思ってないのに、そんなものなくても生きていける人間なのに、なんでそう思い込めたんだろう?」

ここが私にとって出発点であり、ここでこのテキストに書きたい本題なのです。

続きます。ご興味があれば引き続き、お付き合いいただけると幸いです。


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