文鮮明先生の早稲田大学留学と下関
文鮮明先生が初めて日本の土を踏まれたのは1941年4月1日、関釜連絡船で韓国釜山から下関の埠頭に着かれた。現在海峡ゆめタワーのすぐ近くの埠頭だ。早稲田大学附属早稻田高等工学校電気工学科に留学する為であった。また太平洋戦争勃発の為、卒業式は半年繰り上げて行われ、2年半の日本留学を終えられてまた、下関から韓国に船で帰国された。故に文鮮明先生にとって下関は忘れることのできない土地となった。当時はまだ韓国は日本による韓国併合(1905年〜1945年)の為、植民地支配による統治下であり