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統一原理注解  終末論➖終末の本当の意味

聖書には色々な箇所に終末に関する記述がある。
創世記第6章11節〜13節(旧約時代、洪水審判、ノアに方舟を山頂に造ることを命じた)
時に世は神の前に乱れて、暴虐が地に満ちた。神が地を見られると、それは乱れていた。そこで神は言われた、「私は全ての人を絶やそうと決心した。彼らは地を暴虐で満たしたから、私は彼らを地とともに滅ぼそう」
マラキ書第4章1節(旧約聖書最後の予言書)
万軍の主は言われる、炉のように燃える日が来る。その時すべて高ぶる者と、悪を行う者とは、わらのようになる。その来る日は、彼らを焼き尽くして、根も枝ものこさない。
ペテロの第二の手紙第3章10節〜13節(新約聖書
しかし主の日は盗人の様にやってくる。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けくずれ、地とその上に造り出されたものも、皆焼き尽くされるであろう。

この様に終末の時にはノアの時もイエス様の時も再臨主が来られる時も人類が滅亡する様な予言があちこちに見られる。現代社会において世界各地で大地震、津波、大洪水、エイズ、コロナの世界的感染、大規模な火災、ロシアによるウクライナ侵攻、各地の戦争、核の脅威などを見ればまさに終末的兆候を見せている。終末には人類が滅亡してゆくのか。聖書が語る終末の本当の意味を考察してみましょう。

結論から言えば終末とは罪悪の世の終わりを意味している、と同時に善の世界の始まりを指している。本来神様の創造理想が計画通り実現していたなら罪悪の世の中など出現していなかった。神様は創造の過程で万物を先に創造されて最後に神様の似姿の如く人間を創造され「生めよ、増えよ地に満ちよ、万の物を治めよ」と三大祝福を与えられた。人類始祖アダムとエバが完成し、神様の祝福によって夫婦となり、善なる子女を産み、善なる家庭、社会、国家、世界を築いたはずだった。そこには悪のかけらもなく、神様を中心とした幸福と平和に満ちた世界が実現したはずだった。ところが人類始祖アダムとエバは天使長ルーシェルの誘惑に負けて神様から与えられた戒めを破り、堕落してしまった。天使長ルーシェルは悪魔サタンとなり、神様に代わって堕落人間を支配し、人間は罪なる子女を繁殖し、罪を持つ家庭、社会、国家、世界を築いてしまった。それ故にサタンのことを別名この世の君とも呼ぶ様になった。堕落した人間はサタンに支配されて、葛藤する家庭、罪悪が蔓延する社会、戦争や憎悪が絶えない世界になってしまった。創造主であり親なる神様は人間のこの不幸な状態を放って置かれるはずもなく、アダムとエバの堕落直後から救援摂理をしてこられた。それ故に神様はこの乱れた世を救う為にメシアと呼ばれる救い主を遣わされて罪悪の世界を終わらせる時の事を終末と呼ぶ。即ち悪の世の終わりを指している。

ではなぜ聖書は終末に起こる現象として天変地異や火の審判などを予言しているのだろうか。クリスチャンの中には聖書の文字通り信じて終末には地球は滅び信じるものだけが救われると信じている方もいる。しかし統一原理は神様の願い、聖書の記述の奥義を解き明かしている。

まずノアの時代に最初の終末があった。ノアの時代、人々は神様を忘れ、淫乱などのあらん限りの罪を犯していた。それは神様が見て人を造った事を悔いると言わしめたほど乱れていた。そこで神様は全き人、義人ノアにアララテ山の山頂に方舟を作りなさいと命じられる。ノアは神様からの命令に従って120年もかかって一生懸命方舟を建造していく。義人ノアは方舟を造るだけでなく、人々に洪水が来るから悔い改めて一緒に方舟に入ろうと必死に呼びかけるも馬鹿にされ嘲笑されるばかりだった。また妻や子供達も当初非協力的だったと言われる。しかし最終的にノアの8人家族のみはノアを信じて、地に生きる動物達のつがいと共に方舟に入った。そして40日40夜雨が降り続きノアの家庭以外は皆滅びた。雨が止んで方舟が地に着いた時、神様は虹をノアの家族に見せ、この虹は二度と地を滅ぼさないと約束された。神様はノア家庭から新しく出発されようとした。神様はノアの家庭を残されたのは、神様の創造理想を完成させるという不変の決意だった。

では新約聖書に書いてある、終末における火に審判は何を意味するものなのだろうか。「その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けくずれ、地とその上に造り出されたものも、皆焼き尽くされるであろう。」(ペテロの第二の手紙第3章10節〜13節)
この火の審判に関して聖書の別の箇所には「舌は小さな器官ではあるが、よく大言壮語する。見よごく小さな火でも、非常に大きな森を燃やすではないか。舌は火である。」(ヤコブの手紙第3章5節〜6節)この様に舌は火であると書かれている。実際救い主イエス様が来られた時、火で審判された記述は聖書のどこにもない。従って火の審判とは舌による審判、即ちみ言による審判を表す。2000年前のイエス様が来られた時も2000年後のイエス様の再臨の時も真理をもたらされ、み言による審判で罪悪世界を滅ぼされ、善主権世界が到来する。

まとめれば、悪の世界が徐々に下降して滅び、メシアが来られ善が芽生えて上昇して栄えていくこの交差点が終末である。善悪の交差点である終末は混乱期でもあるが悪が滅び、善が栄える希望の時でもある。

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