日本に必要な都市政策も、家族政策も「客家」が教えてくれる
某党の党首選でも「政策論争」の必要が言われる昨今ですが、先月は国立民族学博物館が発行する『月刊みんぱく』8月号の「客家特集」にて、巻頭言を執筆させていただきました(後者のリンクから、全ページ閲覧可)。
客家のよみは「はっか」で、いわば漢民族内のマイノリティ。独自の生活様式や、食文化で知られます。
9/5から始まる、企画展「客家と日本」とのタイアップ企画。次の号が刊行されましたので、民博の許可をいただいて、拙稿の全文を掲載し、少しオマケです(アゴラへの転載もOKとのことです)。
客家の暮らしが日本を癒す?
なんでか知らないけど客家って私、昔から好きで……。病気で入院とデイケアを体験してからは、ますます「円楼」への偏愛が強くなりました。もちろん親族に限られてのことだけど、アジールないしコミューン感みたいなもの、感じません?
なのでその頃、台湾のメーカーが『客家円楼』というボードゲームを出していたのは、結構気になってました(中華民国では、客家は「四大族群」のひとつをなす民族カテゴリー)。一部、欠陥あり要交換の製品があるとの情報に臆して、買うのは見合わせちゃったのですが……。
家族祭祀と集団生活の雰囲気がある! レアなゲームは初出で買わないと再版されないので、失敗したかな(涙/ヘッダー写真も上記ブログより)。
2011年の『中国化する日本』の頃からずっと書いていますが、日本って伝統的に(正確には江戸時代から)「小家族・小経営」の社会で、隣近所どうしでの競いあいが結果的に、近代に工業化する局面でも貢献しました。
ところがその果てにたどり着いたのが、狭い国内で「そこまで見栄を張りあう意味ってあります?」な過当で無意味な競争(日本のナチュラル・ネオリベ)であり、もう小家族ですらダルいから生きるも死ぬもひとりでいいっすという「ソロ経営」の社会だったんですなぁ。
長いこと格差社会とか、孤立・無縁社会のように騒がれてきたのは、要は「小家族という単位でのケアを前提にした福祉の限界」のことなので、これから必要になるのは、なんらかの大家族的なモデルーーただし文字どおりの血縁ではなく、悪い意味での家父長制に陥らない居住のあり方だと、ずっと思ってるんですよね。
そのヒントとして、今回は客家の集合生活を採り上げました。「似た暮らし方なら、他にもこんなんあるで!」といったアドバイスも、随時募集中です。よければどうぞ、よろしくお願いします!