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子どもの頃に見た景色【死にたい夜に効く話.28冊目】『西の魔女が死んだ』梨木香歩著

『西の魔女が死んだ』はトラウマだった。
中学生で初めて読んだとき、あまりにも泣きすぎたからだ。

でも、決してこの作品が嫌いなわけではない。
思春期にときに読んで、ありありと頭の中で描かれた情景は、今でもしっかり残っている。

『西の魔女が死んだ』を読んでから、幾数年。
唐突に、もう一度読みたい衝動に駆られ、すぐ近所の本屋に走った。

『西の魔女が死んだ』

学校へ行けなくなった中学生のまいが、祖母の家で暮らした日々の物語。

祖母との生活は、忙しない現代社会とはかけ離れている。
手間がかかる。めんどくさそう。でもちょっと憧れる。そんな生活。

今読んでみたら、おばあちゃんは孫が学校へ行かないことについて一切責めない。
まいがおばあちゃんの家に連れてこられた日のこと。

 ママが声のトーンを落とした。さあ、また「扱いにくい子」を口にするのか。けれど、何をしゃべっているのかうまく聞こえない。
 まいはしゃがんで、その雑草をつくづくと見た。小さな青い花をつけている。勿忘草をうんと小さくしたような花だ。
 突然、おばあちゃんの力強い声が響いた。
「まいと一緒に暮らせるのは喜びです。私はいつでもまいのような子が生まれてきてくれたことを感謝していましたから」

梨木香歩『西の魔女が死んだ』新潮社、2001年、pp.21-22

こんな大人は、なかなかいない。
責めるでも叱るでも、過度に心配するでもない。
まいをあるがまま受け止めてくれている感じがすごくいいのだ。


何より、梨木香歩さんの自然への、植物への観察眼というか感性がすごい。
それは他の作品にも表れている。その中でも自分は特に『家守綺譚』が好きだ。


自分だったらそのまま通り過ぎてしまいそうな小さな草花に目を向けられるまいは、おばあちゃんが褒めたように感性が豊かな子なんだろう。

まいの目を通して見る世界は、些細な日常の中の出来事であっても、まるで特別なもののようにきらきらと輝いて見える。


子どもの時に読み、そして大人になって読み返したからわかることもある。

自分の記憶に残っている作中の情景。
事細かに書かれていると思っていたその部分は、意外にもわずか数行だった、ということがあちこちにあった。

自分の中では鮮明にその情景が残っているのに、え?これだけだった?というほど短い。

この本を読んだ当時は、小説にあまり興味がない時期だった。
小説に慣れていない自分は読むのだって、今とは比べ物にならないぐらい遅かっただろう。
でも、今よりもずっとゆっくり、一行一行を丁寧に読んでいたのだと思う。

暮らしの様子や、自然の風景。野いちごを摘んで作ったジャム。ラベンダーの香りのシーツ。おばあちゃんとの非日常感ある会話。

まいのときめきも、不快な感情も、まいと同じ年頃だったからこそ、見えたものがあったのだろう。
その繊細な空気感を、大人の自分よりも丁寧に受け取っていた気がする。

きっとあんなに号泣したのも、若くて感受性豊かだったからかーと思いながら最後まで読んでいった。
ーーやっぱり、しっかり泣きました。はい。

〈参考文献〉
梨木香歩『西の魔女が死んだ』新潮社、2001年

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