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あるいはすべてが夢だったとして。 『TIMELESS』

”思い出すことばかりで、夜が過ぎる。”

『TIMELESS』朝吹真理子


今は走馬灯みたいに通り過ぎて、
記憶は白昼夢みたいに溶け出した。

”思い出しているうちに、このままいまのすべてが思い出すことでおわってしまうんじゃないだろうか。思い出すことがあって、思い出すことばかりで、夜が過ぎる。”
”追われつづけることが暮らしになっていて、追われつづける現在だけがある。”
”ほんとうのところどうだったのか。ほんとうという言葉が馬鹿馬鹿しかった。”
”空から、死は、降ってこない。”
”なりゆきだった、ぜんぶ。たいせつになったなりゆきだった。”

『TIMELESS』朝吹真理子

言葉は口にした瞬間から疑わしくなる。
大切だと言ったとたん、大切じゃない気がしてくる。
生まれたことに意味はなくて、生きることに理由もない。

すべてがなりゆきだったとして、ここにいるのは誰だろうか。
あるいはすべてが夢だったとして。

感想

恋を知らないまま子どもをつくったうみと、父を知らないまま生きるアオ。
一見孤独なふたりだけど、孤独という言葉を知らないから、孤独に見えない。
うつつと夢とが混ざりあう、眩しい白昼夢のような一冊でした。

大切なものが大切になるのはいつでしょうか。
なにも大切なものがなかったとして、その人生に意味はないのでしょうか。
交友でも、恋でも、仕事でも、僕らはいやに「大切な」とか「好きな」とか「本当の」といった言葉にこだわっているように思います。
大切な友達だけいればいい。好きな人さえいればいい。本当にやりたいことを仕事にしたらいい。そしてそうでないものには、最初から関わる価値も時間もない、と。
僕もずいぶんこういった言葉に踊らされてきたような気がします。正確には今もですが。

けれどその大切なものは、いつ大切になったのでしょうか。
それに触れる前から大切だったのでしょうか。
それは、人生のある過程で、偶然に、それこそ「なりゆき」のうちに大切になったのではないでしょうか。
ひょんなことから仲良くなって、時間を重ねるうちに恋しくなる。なんの運命も意思もなくても、それらはどこかで大切に変わります。
逆に言えば、今を受け入れず、未来に期待を寄せてばかりいれば、なにも大切にならず、何者にもならないまま、それらは通り過ぎていくのかもしれません。

わりと、難解な小説でした。
誰の現実か、誰の記憶か、誰の夢かもわからないような描写が、継ぎ目もなく流れていって、最後まで読んでもなんの話だったのかよくわかりませんでした。
それでもなにか書きとめたくなりました。つまらなかったなら匙を投げることもできましたが、単に自分の読解力と感性が足りないような気がして、それがなんだか悔しくて、意地の張った感想を絞り出してみた所存です。
なりゆきで出会った言葉と物語に、なにか意味を見つけたくなったのかもしれません。


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