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届かぬ声のなれのはて。 『赤い月の香り』

”もっと真っ赤に染まってしまえ。”

『赤い月の香り』千早茜



行かないで、と泣き叫ぶ。
そばにいて、と手を伸ばす。

”「月に匂いはありますか」”
”「体臭を求めるってことがどういう執着かわかるだろう。唯一無二の欲望だ」”
”花だ、と思う。俺の腕の中で咲く柔らかな花。”
”「私たちは秘密も永遠も保ち続けることはできないんです」”
”「香りはね、一瞬で時を越える」”
”赤い月が囁く。もっと、もっと、と。もっと真っ赤に染まってしまえ。”

『赤い月の香り』千早茜

届かぬ声のなれのはて。
傷だらけの心からこぼれた血が、月を真っ赤な怒りに染める。

”「君のその怒りが眩しかった」”

『赤い月の香り』千早茜


感想

怒りという感情は悲しみからしか生まれないのかもしれません。
どうして理解してくれないのか。どうしてそばにいてくれないのか。
どうして。どうして。どうして。
期待が失望に変わり、失望が悲しみに変わる。
悲しみを悲しみのまま終わらせることに耐えられなくなったとき、人はそれを怒りに変えてしまうのかもしれないと、この本を読んで考えました。

私は今では自分の怒りをずいぶんコントロールできるようになりましたが、それができることが良いとか悪いとか言うつもりはありません。
怒りは攻撃的な力です。手綱を放してしまえば何かを壊してしまいます。
しかし、怒りを制御できるということは、失望を受け入れるということ、もしくは何も期待をしないということであり、いずれにせよ、悲しみを悲しみのまま終わらせることだと思います。

この物語の主人公は、怒りの感情を制御できないことに苦しみ、ある日出会った調香師がまとう「静かな香り」を求めて、彼のもとで働きはじめます。
一方で調香師は物語の終盤で、「君のその怒りが眩しかった」と、感情的な主人公に抱いていたささやかな憧れを告白しました。
おたがいがおたがいのことを、どこか羨ましく思っていたのです。

怒りは悲しみのなれのはて。
どちらが正しいという話ではありません。
ただ、そのなりたちを知っていることで、人にも自分にも少しだけ優しくなれたらいいなと思いました。

本作は千早茜さんの『透明な夜の香り』の続編です。
実はそうとは知らずにこちらを先に手に取ってしまったのですが、おかげで『透明な夜』は、小川朔と若宮一香の過去編を読むような感覚で楽しめました。
いつもはカバーの写真をサムネイルにするのですが、この二冊は表紙がとても素敵だったので、今回はこちらを採用しました。写真では伝わらないと思いますが、深い色で肌ざわりも良く、本好きにはたまらない魅力的な装丁です。
人間がもつ「怒り」という普遍的な感情を月の香りにたとえた、神秘的な物語でした。『マリエ』とあわせて、千早茜さんの香りへのこだわりがうかがえる、おすすめの一冊です。


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