2021.6.26 美女とGについて
夏目漱石『草枕』を読んでいます。中学か高校で読んだきりで、めちゃめちゃ久しぶりの再読(明日の読書会の課題図書なのです)。お話としては、ひとりの画家が温泉地に旅をし、そこで出会った宿の若女将に霊的な美しさを感じてなんやかやといった感じ。冒頭の
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
がとくに有名な作品です。漱石の芸術論が満載で、蘊蓄おじさん的な鬱陶しさも感じますが、「損得勘定的道徳感をとっぱらった先に真の芸術がある」という考え方には納得です。
ところで、ここに登場する宿の若い妻、那美に惚れそうです。どストライクです。とくに主人公との会話がオシャレすぎます。
たとえば、主人公と那美がその地方に残っている昔話について話しているシーンがあります。昔、二人の男から同時に求愛され、心を病んで入水自殺してしまった女性がいて、「あきづけば、をばなが上に置く露の、けぬべくもわは、おもほゆるかも(秋になればススキにつく露のように消えてしまいそうなほど私は切ないわ)」という句を歌ったというのです(原典は万葉集)。それに対して、那美は「つまらない歌ね。私なら二人とも男妾(愛人)にするわ」みたいな感じに非難しますが、そのタイミングでふいに鶯が、「ほーほけきょ」と囀ります。それを受けて彼女は一言、「あれが本当の歌です」ですもの。イイ女感出しすぎでしょ。顔も所作も美しく、知性まで兼ね備えた完璧な女性がここにいます。
那美だけのためにも、この作品を読む価値はありますね。
美しい文学の話をした後なので、多少気持ち悪い話をしても許されるでしょう。ギャップで気持ち悪さが際立つようだったら、ごめんなさい。先に謝っておきます。
先ほどGが現れました。今年最初のGです。ガムテープの粘着面でバンバン叩いて抹殺しましたが、それで思い出したGにまつわるグロテスク情報をば(苦手な方は心の耳を塞いでください)。
Gの生命力はヤバいです。あいつらの脳は頭部だけではなく、胸部にもあります。それだけでもヤバイのに、頭部と腹部のパーツをそれぞれ独立した脳が管理しているため、頭を失っても下は元気もりもりです。キモヤバです。頭を失ったGはその後も一週間ほど生き続け、死ぬときは摂食器官を失ったことによる餓死です。ヤバヤバ。くわえて、あいつらは人間の髪の毛やフケ、石鹸、段ボールまでも餌とし、ときには小麦粉の袋を破って中身を食い散らかします(袋に穴が空いていたら要注意です)。ヤバたにえん。雌にいたっては一年半ほどの寿命のなかで、一回につき22~28個の卵を15~20回産卵します。つまり、雌一匹で400匹ほど生みます。ヤバたにえんの無理茶漬け。
でも、安心してください。Gたちは寒さに弱いです。東北地方での目撃例が少ないのはそのためです。物流の発展に伴い、昨今では北海道やロシアにも微量ながら生息が確認されていますが、北極や南極での目撃例は今のところないようです。蓬生が調べたところによると、国立極地研究所の発行している『極地研NEWS』という情報誌の183号に、「北極基地のG捕獲器には4ヶ月経ってもなにも捕まらなかった」という記事を発見したので少なくとも北極は安全です(こんなことまで調べている蓬生はGなみにヤバいやつかもしれません)。どうしてもGから逃れたいあなたは観測隊の一員になれば問題解決です。
さあ、いい具合に解決策が出たところでおネムちゃんです。上記を踏まえて良い夢を。悪夢の使者、蓬生でした。それではまた。