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これが臆病者なりの一歩だとして


最近ずっとふわふわしている。悲しいとか苦しいとかそういうんじゃなくてなんとなくふわふわしていてやるべきことに身が入らない。

そのせいで平日に仕事が進まず週末に片付けることになっている。週末の方が集中できるから仕事は捗るのだけど、なんていうか、このままじゃだめだ、と思う。だめなのに変えられない。

普段腹が立たないようなことで腹が立つとき、ああ何かに焦っているんだな、今は私は焦燥感でいっぱいなんだと自覚する。何に焦っているのだろう、何を恐れているのだろう、散歩中にそういうことを何度も考えるけどひたすらずっとぼんやりしている。ただ、そこに絶望はない。 

霧の中で霧の向こうにある晴れた空を見ているような感じ。そこに光はあるのにあと一歩足りない。どうしても光がぼやける。その場でじっとしていることしかできない、今は。

けれどそんな私に見向きもせずに季節はめぐる。

冬のつんとする冷たい風がやんわりとやわらかくなってきた気がする。確実に春が近いこと、それは私にとって大きな救済であり希望。

私がベランダから空を見て「春が近い空気だよ」と言うと恋人は「嬉しそうな顔」と笑って頭を撫でる。嬉しいよ、春が近いことはほんとうに喜ばしいことだ。

「引っ越しちゃったから毎年行っていたところの桜は見れないね」と言うと「引っ越したから新しい場所で違う桜を見つけられるよ」と言った。

恋人が話すと、可能性ってやつが一気に色づく。

私は恋人のそういうところがほんとうに好きだし、単純にいいな、すごいな、そういう人になりたいなと思う。

たまに過去にあった大切な思い出を振り返る時置き去りにしてきたような気持ちになってしまう。ちゃんと大切に両手で抱いて進んできたはずなのに気づいたら全部手からなくなっているような、落としてきたことにも気づかないまま進んでしまったような。

振り返って見たときその思い出はすでに錆びついてもうどうしようにも手遅れで後悔ばかりが残るような、そんな感じ。

恋人にそうやって馬鹿げた話をすると彼は笑う。俺にその感覚はわからないけど、と繋げて「でも。錆ちゃっても壊れてても、(私)はまた全部拾うでしょ」と言う。「手遅れだってわかっても拾うでしょ」と。

彼は私のそういう話を理解できないと言いつつ笑って楽しそうに聞く。

この人は、私がどれだけ後戻りをしても、踏み出す一歩が小さくても、待っていてくれるのだと思った。その態度は朗らかで、焦燥感など微塵も感じさせない表情で、ただ私がくるのをいつまでも待ってくれているのだと思った。

それは恋人にもとから備わっている余裕なんかではなく、紛れもないやさしさだ。私のために用意されたやさしさ。

だから、私は彼の態度や人としての大きさを当たり前だと思ってはいけないし、そのやさしさに相応しい答えを彼に渡したい。呆れるほど遠回りして見つけた私なりの答えをいつか大事に話すから一番に聞いて欲しい。


なぜふわふわしていて、ぼんやりしているかなんて理由は自分が一番わかっている。

今まで感じたことのない感覚がいま自分のなかにあって、それが嬉しいのと同時に不安でたまらない。未知の感情は怖い。今すぐ走り出したくてたまらないのに足が動かない。霧の向こうに確かに美しい空があるのに今はまだよく見えずにいる。しつこいくらいに霧が纏わりつく。


春になる頃には、霧を抜けあなたと手を取りその先にある空の色をちゃんとこの目で知りたいと思う。

これが臆病者なりの一歩だとして、答えに近づくにはまだ時間は必要だけれど、私なりの答えを、精一杯を、あなただけに聞いて欲しい。


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