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恋に落ちて愛を知ってふたりで暮らして

このおうちで暮らすのも残すところあと数日になった。

引っ越し荷造りで増えていく段ボールと部屋にできていく余白のなかで生活をして、「ほんとうに引っ越すんだなあ」と寂しくなった。

遠距離恋愛が終わると同時に同棲をはじめて、4年が経とうとしている。遠距離恋愛が終わったという嬉しさと、これから一緒に暮らせるのだという安心感と、突然こんなに距離が近くなって大丈夫だろうかという不安と、いろいろな気持ちを抱きながらはじまった同棲生活は、想像していたよりもずっと穏やかで、ときには賑やかで、当初抱いていた不安は気づけばすべて彼の優しさに抱かれてふわりと消えていた。

いろいろな人が遊びにきていろんな会話をして、一緒にごはんを食べて笑って泣いて、この部屋には思い出が詰まっている。窓を開けると小鳥の囀りや木々の揺れる音、時折聞こえる鐘の音、風にのって運ばれてくる子供たちの声、外を歩けば季節の移ろいを感じられる心地よい香りが鼻を抜け、萎んだ心を蘇生してくれた。

この街にもこの部屋にも思い出がたくさんありすぎて、やっぱり寂しさは込み上げてきてしまう。

毎日している朝の散歩も、これからはこの風景を見ることはなくなるのだと思うと胸がきゅっとなるし、何度も戯れ合った地域猫さんたちとのお別れも名残惜しい。

常連だった居酒屋さんは当然歩いてなんかいけない距離になるし、いつもコーヒー豆を買っていた焙煎屋さんも車を使ってある程度の時間をかけないといけなくなる。

彼と歩いた道を歩けば思い出が鮮明に蘇る。満開の桜の下で笑っていた顔も、「どこにもいかないよ」と手を繋いでくれたあの道も、木漏れ日の下で見た綺麗な横顔や澄んだ瞳も、あなたと一緒にここにいたんだと噛み締めるように大事に歩く。ありがとうと何度も心のなかで繰り返しながら一歩を丁寧に踏み出す。

もう2度とここに戻ってこれないというわけではないし、来ようと思えば休日なんかは全然訪れることはできる。けれどそこに暮らすことと、そこに訪れることは全然違う。そこに居ることとそこに行くことでは違うから。

もうここは、私たちが帰る場所ではなくなる。

ほんとうにだいすきな街で、だいすきな部屋だった。苦しい時期もこの街を歩くことで、近所の人と言葉を交わすことで、部屋のなかでだいすきに囲まれることで、彼がおかえりと笑ってくれることで、前へ前へと人生をつなぐことができた。

だいすきだったからたくさん愛したから、もうその街の、その部屋の人はでない他所の人になってしまうこと、それが今はとても寂しい。

新しい物件の近くには河川敷があって、日当たりもよく心地よい風が通る静かな場所だ。内見に行ってすぐ私も彼も「引っ越そう」と決めた。そのくらい新しい物件も素敵な場所で、彼とふたりで暮らすことを想像すると胸が躍った。

今より築年数はずっと古いけれどちょっと変わった内装の造りも好きだし、台所は今より少しだけ広くなるし、何よりもそこにふたりが居るところを自然に想像できた。きっと良い暮らしになるねと彼と話し合った。

そこに住み始めれば、そこが私の私たちの帰る場所になり、生きていく場所になる。この街もこの部屋もそうだったように、新しい場所だってそうなっていく。だからこそ、今はこことお別れすることをとことん寂しく思ってもいいんじゃないかと思う。

植物の葉を拭きながら彼が「もう少しで新しい場所に行くよ」と言っていた。「ここと同じように元気に育ってくれるかなあ」とつぶやくと「育つよ、大事に育てるよ」と返ってきたその声が陽だまりのように柔らかくて温かく私は「うん、大事にするよ」と答えた。

これからも大事にするよ、あなたを含め私の暮らしを彩ってくれたすべてのものを。

人を愛するように、共に生活してくれた部屋や街、家具や植物や食器たちのことも同じく愛しく思っている。だからこのおうちが空っぽになった後は、クリーニングが入ると知っていても感謝とお別れの気持ちを込めて綺麗に掃除をしていくし、きっと私は泣いてしまう。

恋に落ちて、愛を知って私たちはふたりになった。この場所でふたりで暮らし何度も選択をして、一緒に人生を進めてきた。一生のうちのたった数年だ。けれど、その数年に私がこれから生きていくために必要だったことが詰まっている。

20代の大事な時期をここで、この街、この部屋、ここに暮らす人たちと過ごせたことを心から嬉しく思う。


かなり同棲初期
スヤァ(いつも死んでるみたいに寝る)


夏!
かわいっ


ソックス履いてるから足首めちゃくちゃ黒く見える笑


私の誕生日


ちょんまげしててかわいい




もっとカラフルな日々が待ってると信じて未来!!!!!!

次の更新は新居からになりそうです。

またね

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