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隣が彼じゃないなら退屈な日々

丈の長いスカートを履いて歩くと裾が足に当たって心地良い。まるで自分が風を纏っているような、そんな気持ちになって足取りが軽くなる。見上げると空が青くて、なのに突然雨が降り出したりする。夏の雨は冷たくない。雨に打たれているのに笑っている人の顔が思い浮かぶ、そんな雨。

散歩の帰り道の途中で歩くのがしんどくなった私を、彼がおんぶしてくれた。「恥ずかしいから大丈夫、腕をかしてくれたら歩けるから」と言ったら「お姫様抱っこして歩くわけじゃないんだから言うこと聞いて」と言われて、頷くしかなかった。

「確かにお姫様抱っこされて歩くよりはずっといいかも」と笑うと、「そうでしょ」と真剣な表情をしていた彼も、安心したように緩んだ顔で笑ってくれた。

おんぶをしてもらって歩き出すとき、「ごめんね」と声に出しそうになったけれど、彼の香りが鼻を抜け、その4文字は私の心の奥へ引っ込んだ。「いい匂いする」と顔を肩に埋めるようにすると「(私)の髪の方がいい匂いする」と笑って同じように返された。

夕日が沈む直前の空の色は、いろんな人の今日の悲しみを全部飲み込んだような美しさだった。明日になればまた朝日が昇る。彼の隣にいるとそれだけのことがどうしてかこんなにも嬉しい。

「明けない夜はない」という言葉は好きじゃないけれど、「何度も新しい朝が来る」と思えば、私は途端に笑顔になれたりする。朝が私にとって希望であるように、彼は私にとっての灯火であり続ける。

今年、彼の誕生日に渡した手紙に「出会った頃からずっと(彼)はずっと、私の憧れです」と書いた。

彼は「一目惚れした人にこんなこと思われてるなんてさあ」と分かりやすく照れてほんのちょっとだけ泣いていた。

彼と出会ったはじめの頃、私には恋人がいたし、彼に恋愛感情は抱かなかったけれど、今まで出会ったことない感じの人だなと思ったし、接し方とか表情とか、考え方とか、言葉選びとか、そういうところに異性という壁はまるで感じないほどに憧れた。「この人いいなあ」と感じたと同時に、その憧れの強さから「私とは生きる世界が違う人だ」と思って勝手に距離を感じたりもした。

この人が好きになる人はどんな人なんだろう、とぼんやり思っていた私にとって、彼が私を好きになってくれていたことは信じ難いほど奇跡に近かった。

彼のすごいと思うところとか、尊敬するところとか、憧れてしまうところとか惚れ直すところとか、そんなものは数え切れないくらいにあるけれど、なによりもすごいなあと思うのは、他人に寄り添うとき決して自分は引っ張られることなくしっかり立っていられるところ。

そうあろうとして立っていられる人も十分立派だって思うけれど、彼の場合は、そうしようと思って努力からそうしているのではなく、

彼はもう、そもそもそういう風にできている人だった。

だからこそ憧れた。

私が穴底の奥の奥の方へ落ちていても、決して同じ穴底には落ちてこない彼だから、私は私のままで、あなたはあなたのままで、2人は今の2人でいられたのだと思う。けれど、いつでも手を差し出してくれることを知っている。

「どうしたらあなたみたいな人間ができあがるんだろう」「論文書けそうだよ」と言ったときに彼は「俺が(私)を好きになったことだって同じ」と言っていた。「(私)は最初から、今まで出会ってきた誰とも違ってたよ」と。

ここ(note)に書いているようなことがすべて彼にそのまままっすぐ届けばいいと何度思ったことか。けれどどれだけ言葉で伝えても手紙を書いても、私の心の内が全部伝わるなんてことはないのだろう。彼が思っていることだって全部はわからない。

でも伝えきれないちょっとの部分、そこが2人を繋いでくれているのだとも思う。わからないことはわからないままで、知らないことは知らないままで、時々こぼれ落ちてしまっても、最後はまるごと抱きしめて一緒にいたい。

私が帰りたいと思う場所にはあなたがいる。
私はあなたが帰りたいと思う場所になれていたらいいな。

「ただいま!」と勢いよく抱きついたときに「おかえり」と抱きしめてくれた力強さとその対局にあるような優しい声、ぜんぶ愛だって思ったよ。

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