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自筆短編 「私達のグッドバイ」
私達のグッドバイ
人を愛する事の出来ない人間は果たして不幸なのだろうか。もしそうだとしたら私は紛れもなく不幸な人間だろう。情熱的に人を愛した事が今まであったかと自身に問うてみると、ないとしか思えない。しかし人を愛するという事象とは何を持ってして定義付けするのだろうか。
結婚する事が愛なのか、交際する事が愛なのか、
抱き合う事が愛なのか、言葉にする事が愛なのか、
食事をする事が愛なのか、瞬間的な愛と持続的な愛、
どのくらいの時間人を好きだと思い続けられたなら愛と呼べるのだろうか、どのくらいの時間を過ごせば愛したといえるのだろうか。
愛ではなく、愛着という感覚ならば私も何度も持った事がある様に思う。
以前に付き合っていた人に別れ際こう言われた。
「貴方は私を随分と可愛がってくれたと思うわ、だけどね、愛されていたとは思えなかった」
友愛や仁愛、他者への奉仕の心だけでは人は生きていけないのだろうか、性への欲求と愛というのは別なのか、同じなのか。
全く摩訶不思議な感情で理解に苦しむ。
答えはいつも出る事はない、だから考える事をやめてしまったし、恋愛も諦める事にしていた。
私は高峰昭夫。四十歳独身。
小田原で生まれ育ち少し荒れた多感な十代を過ごして、二十代は映画に魅了されて世田谷に住んで貧乏ながら役者として活動した。若い頃は所謂夢を追う若者であったし、異性との交遊も含めてかなり精力的な人間であったと思う。その後様々な事があって、様々な仕事に就いた。五年前、最後に付き合っていた人との別れを機に鎌倉の由比ヶ浜駅の近くに自宅兼事務所を構えてフリーランスで出版関係の仕事を請け負う傍ら自営でネットショップとしてささやかながら古本屋を営んでいる。転居してからは人付き合いはなるべく避ける様にしていて、デスクワークと仕入れた本を読んでは販売する日々。まだ四十歳であるが、様々な人付き合いをしてきた過程の上で、現在は一人の時間を大切にして静かな日々を送っている。異性関係に関しても面倒を嫌う性格なので、新たな出会いなどは求めたりもしない。一人で読書をしている時間が何より幸せな時間だと感じている。
そんな毎日であった。
作品世界は実にいいもので、常に冷静に考えて、それでいて没頭出来て、疑似体験が出来る。
物語の世界は美しさに溢れている。
恋愛というものを文学的視点から考えてみると年齢が若ければ若さゆえの特権として何でも良いのだと思う。しかし美しさを求めるならば三島由紀夫の潮騒の漁村の様な限定的な環境がなければ純真さを表す事は難しいのだと最近は考えていた。
但し欲求というものは確かにあるもの、だけれども前述した様に面倒を嫌う性格の私であるが、それにも関わらず、何を思ったのか私は久しぶりに女を誘い、自然な流れからここ数ヶ月は時間を共に過ごしたのだ。
私はその頃仕事が立て込んで精神が疲弊していた。それを理由にしては陳腐ではあるのだが、横浜での仕事の打ち合わせの後に一人で桜木町駅に歩いていた時に呼び込みに釣られて何年ぶりかに風俗店へ入ったのだった。
何の期待も求めていない時に限って始まりは降りてくるものらしく、特に何の努力もなくきっかけが現れた。
そこで付いた女で蓮美(はすみ)という歳は私の四つ下だから三十六歳の女である。眼力が少しきつく話してみても気の強そうな女というだけで何のいい印象も感じなかったが、肌を合わせた時に感じる男と女特有の何か特別なものはあった気がする。だからこそ女は私に連絡先を渡したのだろうし、私もこの女を誘ったのだろうと思う。
外で会い、最初の夜にあっさりと私とその女は改めて身体の関係を持った。
まず初めにお互いに酒飲みであるという共通項が楽に二人の距離を縮めたと言えるのだが、はっきりとしているのは私はこの女が好きではなかった。私はその手の職業に対しては全く偏見はない、問題はそこではなくて人間性が問題だった。いちいち文句が多い。何かにつけて悪く言う。食事に行けば塩辛い、不味い、ここの手洗いは汚い。私は穏やかな時間を過ごしたいのだが、この隣にいる女の口からは雑音が流れてくる。知見が広い様な口振りで物を話すが無知なのが明らかに露呈している事も私の気に障る。しかしそういった陰気で気の強い女に限ってセックスになると逆に支配されたくなるものらしく、強く激しく蹂躙される行為を求め、喘ぐ雌に変わる。
その行為の只中だけはこの女が女の魅力に溢れる顔を見せるのだ。
二度、三度と逢瀬を重ねる程に快楽は増していった。そしてあれは四度目に会った日の事だった。
それまではホテルを使っていたのだけど私の自宅に来たがって仕方なくその女を家に連れてきた。
お節介を焼き始めて、文句を口から垂れ流しながら私の家の掃除を始めだした。
そして先々の生活を見越した様な事を言い始めた。
私はこんな口汚い女と何年も同じ時間を過ごせる訳がないと思った。
しかし夜になると、やはりこの女は最高の女に変わる。その繰り返しだった。
話していると嫌いになる、抱いている時間は心から惹かれてしまう。そしてまた嫌いになる。
それから何度目かにこの女を抱いた時、重ねる毎に増していく肌の合わさり、異常な快楽と悦び、私とこの女との身体中の交わりは絶頂に達していった。もうこの女を私は憎みながらも愛しているのではないかと思う様になっていた。
その夜は初めて裸のままで二人は眠った。
翌朝。
女は一変していた。
穏やかに話し、優しさに溢れた女に変わっていた。朝陽の木漏れ日を感じて珈琲を飲み、身支度を済ませて車で出掛けた。その日はどこに行って何をしても私の隣で優しく艶やかな素振りで過ごすのだった。
女の無垢な笑顔は華やかに開いていった。
憎むべき側面が消え失せたその日は一日中二人でいろいろな場所に行った。滝を見たいと話していたので足柄山の夕陽の滝まで足を延ばして、二人で美しい滝の飛沫を感じながら頭上から降りてくる水流を見上げた。その後は湯河原に立ち寄って温泉にゆっくりと浸かった。この温泉場は子供の頃に肌が悪くて母によく連れてきてもらっていた場所だと私は話した。昼食には小田原の私の知り合いの営む日本蕎麦の店へ行った。
穏やかな時間であったが、私は何かに追い立てられているかの様に急いでいた気がした。
それからはあてもなく車を走らせて江ノ島を右手に眺めながら通り過ぎて小動岬のさらに先へと走っていく、
私は小動峠の交差点を通る度に太宰治の心境を想う。
今日はこの女の言葉に傷つく事がなかった。それは助かったのだが、今まではずっと違ったはずだ。心の中でこの女と入水する姿を想像しながら景色は過ぎていった。
弱虫は幸福をさえおそれるものです。
綿で怪我をするんです。
その太宰の文章が私の頭の中で反復していた。
最後に稲村ヶ崎へ辿り着いた。二人は肩を並べてベンチに腰かけた。途中の土産物屋で買った小さな瓶の麦酒を持ち出し軽く二人は夕陽を浴びて乾杯した。夕陽の茜色とそれに照らされた江ノ島と水平線を眺めて、私がその夕景の美しさに恍惚としていた時に女はこんな事を語りだした。
私は幼い頃学校でいじめにあっていたの。よくある話しだけど、本当に帰りに下駄箱に入れてある靴に画鋲が入っていたわ。
お母さんは男を作って突然いなくなってしまったの。
それでお父さんの実家で暮らす事になった。
北海道の信号機さえ少ししかない田舎なの。
お父さんは元々住んでいた静岡で一人暮らしをして働いていたから私はお婆ちゃんと二人っきり。今度はいじめられる事はなかったんだけど、本当に何もない田舎って怖いのよ、中学生の時、その地域の不良グループの一人とお酒を飲んでいて、流れでしちゃったの、そしたら次々と言い寄られて、断れなくて。結局中学を卒業してすぐにお父さんのいる静岡に戻ったんだけど、お父さんには新しい人が出来ていて、私も私ですぐに男を見つけて十六歳で結婚して、やっと居場所を見つけられたと思って幸せだった。
だけどやっぱり駄目ね、そんな生き方で突然幸せになんてなれるものじゃなかったわ。
弱さを見せると立場が保てなくなると知ってからは人にきつく接する癖がついてしまったのだと思う。次に静岡から横浜に来て、様々な仕事を試したけど全然馴染めないの、何をしても続ける事が出来なかった。結局生活に困り今の仕事に就いた。
そう話して、手首に残る幾つかの切り傷の痕を見つめて女は少し微笑んだ。
思えば私の事は多少ここまでの過ごした時間の中で話してきたのだが、この女の事は何も知らなかった。私は聞く事もして来なかったと気づいた。
波の音がまるでこの女の身の上に降りかかってきた幾つもの災難の様に規則性を持って響いていた。
そして女は話しを続ける。
貴方の事は信頼出来ると心から思えた、だからもうきつい女はやめる事にする、今までごめんなさい、自覚はあるの、どうか嫌いにならないで。
生い立ちから今に至るまでを赤裸々に話していた。
話している時の女は憂いを纏う美しい横顔であった。
おそらくこの女は他者にここまで自分の事を包み隠さず話す事はそうないのだろう。
それは話しが急に途切れたり、時系列があやふやで断片的だったからだ。
私は女の話しと波の音のシンクロの中で少し目眩を覚えてきて眼前の景色に意識を向けると茜色に染まる空が暗やんできていた。黒く覆われていく水平線、島を縁取る曲線と灯台の光り、それを見つめながら、女の言う事に頷いたり、小さく相槌を打ったりしながら静かに話しを聞き続けた。
最後に女は今の仕事も辞めて資格を取りまともな暮らしをしていくと話した。
全てをやり直す、転がってきて変なところまで来てしまった。
これからは全てを変えていく事にする。
そう決めたと女は言って静かに微笑んだ。
私は女の話しを聞き終わると、この目の前にいる不幸な女の前途の幸福を願う気持ちが半分と、そしてもう半分は冷たい鉄の様な一ミリ足りとも動じないもの、二つの心が身の内に混同している気味の悪さを感じて残りの麦酒を一気に飲み干した。
そのぬるくなった麦酒は、
砂利の混ざった様な堪らなく苦い味がした。
もうその日私は一人で眠りに着きたかったが女は今日も帰りたくないと甘えてくるので仕方なく二人で部屋に戻った。
夜毎求められていつもと変わらずに私はこの女を激しく抱いた。
女の肩を痣が残る程に強く嚙む、
そして次に女の両手を私は片手で上に押さえつけ、もう一方の手で首を絞める、そのまま激しく突くと女は何度も果て続けた。
求められるままに何度も繰り返してきたこの一連の動作を初めてただの作業だと思った。
ただ女の反応に答えるだけ、熱も帯びずに脳は明瞭なまま、さながら何かの中毒者が突然我に返る様な感覚であった。
不思議な程にエクスタシーを感じる事はなく、
何もかもが滑稽に思えて仕方なかった。
稲村ヶ崎の岬で過ごした二人の時間は男と女というオブジェであったはずのお互いから次へと、獣の戯れから人と人との関係へと進んでいく為の通過点、言い換えると分岐点であったのだと思う。
この女は自分の人生を振り返り、そして本当にあの岬から未来を見つめていたのだろうか。
今までの人生に区切りをつける事をあの沈む夕陽に重ねていたのだろうか。
隣に座り、同じものをみていたはずなのに、
私の眼にはあの景色はありのままの感性を刺激するに足る、本当にありのままの美しい景色として映っていただけだった。
君の幸福は願う。
しかし私が君を幸福にする事は出来ない。
それと同じく、
君が私を幸福にする事も出来ないだろう。
この女にはもう会うまいと、
そう私は決めたのだった。
そして実際にもう二度と会う事はなかった。
しかし、
私は今でも稲村ヶ崎を通る度に、
あの日々の事を、あの憎まれ口を、
あの不器用な笑顔を、
そしてあの決意に満ちた横顔を、
鮮明に思い出してしまうのだ。
不甲斐ない人間。
私の様な人間には、
もう文学しかないのだろう。
もう誰かと心を通わす事はやめよう。
不甲斐ない私にとって、
不甲斐ない五年間の月日の中で、
貴女が、貴女だけが、愛に最も近かった。
「この人となら、自分の人生を変えられるかもしれない」
私はそう思った。
「ただ、穏やかに、自由に生きていきたいだけなんだ」
私はそう思った。
自信を持って生きればよい
この世に生きとし生くるものは
全て 等しく 皆 罪の子だから
私達のグッドバイ 完