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「忘れえぬ愛しき人」
この話しは「深夜食堂 赤いウィンナー再び」という作品を題材にして短く文字におこしたものです。
何度も何度も見直してしまう大好きなエピソードで、文書化したくて堪らなくなって書いてみました。
宜しければ映像の本作もぜひご覧下さい。
そして未熟な文章で恐縮ですがご覧頂けたら嬉しいです。
忘れえぬ愛しき人
私には高校生の頃から恋をしている人がいる。
他の人とも恋をした。結婚もした。
その人もまた同じく恋をして、結婚もした。
それでも忘れえぬ人。
私は徳永章夫。
50歳。都内で刑事をしている。
とある裏路地の小さな飲み屋
杉崎が頼むのはいつも赤いウインナーの炒めたもの。
店では常連客が高校野球の話題で盛り上がっている。
そんな中杉崎は食べ終わり帰って行く。
それと入れ違いに近所のスナックのママ琴代が現れる。
入れ替わりに杉崎は帰ったと聞いて琴代はガッカリして連れてきた従業員にあんたたちが片付けが遅いからだと怒る。
従業員の一人が言う、
「ああ、いつも話している杉崎達也さんね。ママが惚れ込んでる人」
バッティングセンターで杉崎がバットを振るっている。
「まだやるんすか」と、舎弟の男が言った。
「誰も付き合えなんて言ってねえだろう。それよりお前、俺に話があるんじゃねえのか」
「賭博の客に高校野球は売ってねえのかって持ち掛けられたんだろう。何で断らねえんだよ」
舎弟は怯えていた、
「でかく張ってくれるし、金払いの良い客だったんで」
うろたえながら言い訳をする。
杉崎が舎弟に蹴りを入れているところ、
「はいはい、そこまで」という声がした。
刑事の徳永だった。
「今時、鉄拳制裁なんて流行んないよ」
徳永と杉崎はバッティングセンターのベンチに座っている。
「博打がしのぎのくせに。相変わらず高校野球賭博はご法度か。律儀だねえお前も」
「何の用ですか、刑事さん」
「久美が入院してる。見舞いに行ってやってほしいんだ」
「俺は今更顔出せる立場じゃないんで」
そう言い捨てて杉崎は立ち上がって出て行った。
いつもの酒場
カウンターに座る杉崎といつも通りに赤いウインナーを炒めているマスターがいる。
また別の日
徳永がその店に入っていく。
「杉崎がいつも来てますよね?、あいつの頼んでいる同じ物下さい」
しばらくして赤いウィンナーが盛られた皿が置かれた。
徳永は驚いた。
「なつかしいな。これ高校時代にマネージャーが良く作ってくれたんですよ。やっぱりタコの足は6本で」
話しを続ける、
「俺と杉崎は高校の同級生なんです。野球部でね。頑張って頑張って、とうとう甲子園が決まったんです。それが直前になって、あいつのせいでパーですよ」
ビールを一息に煽って、
「あの日マネージャーとデートしてたんです、あいつ。マネージャーがウインナーの弁当作って。そん時に運悪くチンピラに絡まれてね。まあ、久美を、そのマネージャー守るためにしかたなかったらしいんですけどね」
「杉崎さんの事、恨んでるのかい?」
マスターが聞く。
「もう、昔のこと。なんも。ただ許せなかったのはあいつのせいで甲子園行けなかったことよりもね、久美とデートしてたことですよ」
そう言って徳永は笑った。
「俺たちみんな、久美に惚れてたんだ」
「彼女もうすぐ死ぬんですけどね」
マスターは無言で驚く。
バッティングセンター
両替をする為に杉崎がフロントで金を出す。
そこへ徳永が来る。
「この前、言いそびれてたことがあるんだ。あいつもう長くないんだ。乳がんが再発してな、手の施しようがないらしい。お前必ず見舞いに行け」
また別の日
マスターが、杉崎にビールを注ぐ。
「同級生の見舞い。行ってやりなよ。刑事さんがやってきてね、こぼしてたよ」
杉崎は険しい表情のまま、
「今更どの面して行けるんだよ。相手は死ぬんだぞ。死んでく人間に何を言ってやれる」
マスターは煙草に火をつけて、
「何も言えないよ。けどな杉崎さん。あんたが会う会わないを決めるんじゃない。あんたに会いたがってる、その相手が決めるんじゃないか?」
杉崎はビールを煽った。
「おせっかいな野郎だな」
病室で、堅気風のスーツを着た杉崎。
徳永が「彼、新宿の区役所に勤めてるんですよ。僕と同じ公務員」
杉崎も挨拶する、
「突然お邪魔して申し訳ありません」
真面目な背広姿の男性、
「こちらこそ。わざわざ来ていただいて。こいつも杉崎さんに会えるのを楽しみにしていたんですよ」
その男性は久美の夫だった。
「じゃあ、俺、仕事に戻るから」
夫は出て行った。
カーテンの向こうへ徳永を先にして入って行く。
久美はベッドから身を起こす。
こちらを見て、ニコッと笑った。
「達也君。立派になったね」
「こいつは新宿を仕切っている大物だからな」
徳永は続ける。
「新宿で夜中から朝までやる飲み屋があってな。そこでこいつ、タコの形した赤いウインナーばっかり食べてんだよ。女々しい男だろ」
久美は一言、
「うれしい」
それを聞いた徳永は胸元のポケットに手を入れて大げさに「電話が入った」と言った。
「本庁からだわ」と慌てて出て行く。
ふっと、杉崎が笑った。
「やっと笑ってくれたね」と久美が言った。
「まだ、昔のこと気にしてるの?つまらないことをいつまでも引きずって」
杉崎は久美を見ないで言う、
「なにも気にしちゃいないよ」
だが久美は、気にしてるから見舞いも断ったんだろうと言った。
「ばかみたい。もう少し大人になってると思ったのに、変わんないね。よくそんな子供っぽい性格でやくざの世界でやってこれたね」
杉崎は黙っていた。
「達也君が学校辞めて、いなくなってから他のクラスの子とか、先生たちから時々嫌がらせをされたわ。でもね、私は達也君も私も、全然悪いとは思っていないのよ。今でもその気持ちは変わらない」
久美が遠い目をして続ける、
「あの頃、徳永君だけは私をかばってくれたの。
徳永君ね、自分のことを、達也だと思って付き合ってくれって、泣きながら私に告白してくれたの。でも私は断っちゃった。その頃私は達也君の事、結婚したいくらい好きだったから」
久美の顔が、ほんの少し、泣き顔になる。
杉崎は黙っていた。
徳永は病室のドアの外で立っている。
向こうから、野球のユニフォームを着た少年がやってきて徳永に挨拶した。
それは久美の息子だった。
「おお、今お母さんの大事な友達が来ているからもう少し待ってな」
「ああ、野球部の人?」
「ああ、そうだ。ちょっとキャッチボールやるか」
「徳永さん、仕事しなくて大丈夫?」
「世の中にはな、仕事より大事なことがあるんだ」
病室では久美が話している、
「結婚してこっちに住む前に一度だけ、達也君を探しに東京に出てきたことがあったのよ。原宿のホコ天行ったり、渋谷のセンター街行ったり、いろんなとこ行ったけど、見つからなかったわ。当たり前だよね。それでお腹すいて、生まれて初めて牛丼食べたら、めちゃくちゃおいしくて、そのまま最終の新幹線に乗って帰ったんだよ。だから、またこうやって会えるなんて全然思ってなかった」
「あの日、私が達也君をデートに誘わなかったら、どうなってたんだろうね」
杉崎は何も言わない。
「今度、私もウインナー食べにそのお店連れてってよ」
杉崎は俯いたまま囁いた。
「そんな事。いつでもいいに決まってる」
「来てくれてありがとうね」
杉崎は久美を悲しい瞳で見つめながら、
「ああ、また来るから」
杉崎の言葉に久美が笑顔になる。
久美がふとんの上に、手を伸ばす。
杉崎はそっと、その手を握った。
青い空の下
久美の息子とキャッチボールをする徳永。
ボールを受けそこない後ろに取りに走る。
背を向けたままボールを握り、うつむいて、座り込んだ。
立ち上がる事が出来なかった。
その徳永の背中は震えていた。
私達の愛しき人はそのひとつき後に死んだ。
今でもその人を忘れる事は出来ない。
私達の、永遠の、愛しき人。