「似合っている」というウソは必要?
昨日、本屋でチラッとみた本。
それは子ども向けの本で、「言い換え辞典」のようなものだった。
思ったことを率直に言うと、相手が傷つく場合がある。
だから、やさしい言葉に言い換えよう、という趣旨の本。
…
たとえば、友だちに借りた本が好みではなかった場合。
「つまらなかった」
と言うのではなく
「〇〇さん(貸してくれた人)が好きそうな本だなと思った」
と言い換えようね、というような内容が書かれていた。
なるほどね、と思いながら読んでいたのだけど
「それでいいのか?」と思うものがあった。
…
それは、
友だちが髪を切ったけど、似合っていないと思った。
それに対して
「前の方が良かったのに」というのはNG。
だから
「切ったんだね、似合っているよ」と言い換えるのが○、というもの。
…
それを読んで、思ったこと。
…
え、似合ってるって思わなかったんでしょ?
それって、ウソじゃん。
もし傷つけないように言うなら、
これで良いのでは?
以前も同じことnoteに書いた気がするんですが、
「髪を切ったという事実」を肯定する。それでいいのでは?って話。
なんでウソつくんだろう。
というか、この手のウソを平気でつく人がちょっと苦手です。
顔は笑ってるけど、目は笑ってない…みたいなイメージ。
そうそう、以前似たような話を書いてました。
アサーティブネス(自分自身が気持ちよく自己主張するための権利を扱ったもの))の4つの柱は、率直、対等、誠実、自己責任。
で、私は特に率直・誠実でありたいと思っていて、森博嗣さんのこの言葉がグッときた、という話。↓
私は、他者に対して正直でありたいと思っている。
でも、今回チラッと読んだ著書の方は、率直誠実よりも
「相手を傷つけないこと」
に比重を置いている。
書き出してみると、
「なんだ、そんなことか」と冷静になれました。
考え方は人それぞれ。
「相手を傷つけない為のウソならついてもいい」と考える人もいるし、
「やはりウソは嫌だな」と考える人もいる。
そうか、それだけの違いか。
やはり書くって、いいですね。
ウソをつく人が苦手とか書いたけど、まあそれを選んでいる人がいるというだけの話。
そう。
ただ、それだけのこと。