愛用するけど、愛着はしない?
「愛用すれども、愛着せず」
コチラの本に書かれていた一文。
愛でることは、よいことかもしれない。
でも「愛着=執着」という図式があって相手に見返りを求めたり、依存へとつながるのは、あまり健やかではない、と。
さらに、
みなさんは、愛着しているもの…ありますか?
自分のことでパッと思い浮かぶものがなかったんですが…
ある童謡を思い出しました。
✅「クラリネットをこわしちゃった」
音がでなくてどうしよう…どうしよう…
動揺を隠せない、あの童謡です。
全音出なくて、結果「パッキャマラド(?)」って謎の言葉を歌い出す、あの童謡です。
みなさんご存知だと思うので、頭の中で歌ってみてください。←
これって、クラリネットを愛着していた結果だと思いませんか?
オ パッキャマラド パッキャマラド パオパオパ
こんなん歌いだしちゃう。
これって、自分自身を保てていない気がするんですよね?
どうなんだろう?(知らんがな)
行き過ぎた愛着というよりか、「パパに怒られるのが怖い」という恐怖もあるのかな?
いずれにせよ、ものに踊らされるのは何か違うなあ、と。
✅じゃあどうしたら良いのか?
まあ、そうですよね。
人はなかなか難しいけど、ものだったら壊れる前提で「複数持つ」って選択肢もある気がします。
もしくは、壊れた時の対策を準備しておくとか。
おそらく、著者が言いたいこととは少しズレてる気がするんですが…
たとえばLINE。
LINEって1つのスマホにしか入れられないけど、PCで見ることができるんですよね。
だから、仮にスマホが急に故障したとしても、PCで見ることは可能。
そんな感じで、壊れた時の対策を知っていれば、依存することはないのかな?と。
おわりに
「愛用すれども、愛着せず」
これって、その人の性格によるところが大きそうですよね。
自分では執着心があまりない方だと思っていて、「これでないとダメ」ってものは、ないかなあ?と思っているのですが。
自分で気がついていないだけで、実は過度な愛着をしている「何か」が、私たちにはあるのかもしれません。
サポートいただけたら、あなたのリクエストに応じた記事を書くかも!?