「ええかげん」なnoteとは?
料理研究家の土井先生と、中島岳志さん(政治学者)の対談本。
ええかげん、って何だろう?
「いい加減にしなさい(怒)」とは違う気がする?
「いい加減は良い加減」って聞くから、そんな感じかな?
土井先生は、こう言ってます。
人間は、間違っても、周りの人が補ってくれる。
間違ってもいいし、失敗してもいい。
未完成の魅力がある、と。
自分で考えるのが、ええかげん。
ということで、「ええかげん」の例をご紹介〜。
✅「政治のええかげん」は60点?
戦後の政治家で、総理大臣をしていた大平正芳ささん。
この方は「政治は60点でなければいけない」と言う。
なぜ、100点ではないのか?
100点を取るということ
=相手を認めず、自分の考えが正しいと言ってその通りにやることだから。
それは、政治ではない。
だって、自分も間違っているかもしれない。
だから
相手の意見も聞いて、話して、いいところに落ち着けていくのが政治だと。
そして、料理も同じなんだよと。
✅「料理のええかげん」は60%の味付け?
政治と同じく、それぞれが協力しあって和が生まれる。
だから、政治が60点だったように、60%しか味付けしちゃいけないと。
だから和食というのは、それ自体がハーモニーだと、土井先生。
料理が単独で100点とるのは、違うよーってことですよね。
✅じゃあ「noteのええかげん」とは?
ということは…
noteも60点、もしくは60%の味付けで良いってことかなあと。
100点を取るってことは、
自分の考え・価値観の押し付けになるってこと?
まあ、基本そんな感じではあるけど笑
60点くらいで、ふわーっと書く。
そして、「みなさんはどうかなー?」と、ふわーっと投げかけて、終わるとか?
これに当てはめるとしたら
自然=読者
人間=筆者
料理=記事
器=読者の知識や経験、
って感じかなあと。
(ちょっと分かりにくいかもですが)
つまり、私たちが書く記事は、100点である必要はない。
noteの記事は話題だったり、素材提供みたいなもの?
たとえば、揚げ物だったら、
「下味は付いてますが、お好みで塩やソースでどうぞ」みたいな感じ?
そのお好みの塩やソース、っていうのは
読んでいる人の考えや知識だったり、読んでいるその時の感情によっても、変わってくるのかなと。
それは各自お好みで、お楽しみいただく。
だとすると、そこまで書き手が介入する必要はないのかな?
そう考えると、もっとふわふわーっとゆるく書けばいいし、結論もババーン!と書く必要はない気がしてきました。
自信を持って言い切れる結論なんて、そもそもないんですが。
みなさん、きっと各自素敵なスパイスをお持ちだと思うので…
お好きな味で、お楽しみくださいませ〜。
▼土井先生が気になる方、こちらもどうぞ。