フルーツティー記念日。
今朝、柿を切っていた。
「柿が食べたい」という次女のリクエストがあったからである。
柿、ちょっとヌルっとするよな〜
と思いつつ、カットした柿を皿へ。
「あっ…」
ヌルっと手が滑り、
温かい紅茶が入ったカップの中へ見事にイン。
一瞬取り出そうか迷ったが、自分のカップだったので
「まあいいか」と思い、そのまま飲むことに。
…
最後の紅茶は、柿のflavorがした
あまくてせつない香り
と歌いたかったが、柿のflavorはしないし
あまくもなんともない。
柿が少し柔らかくなったかな?と思ったが、実際のところは分からない。
結局柿が入ったところで、特に何も変わらなかったのだが、柿入り紅茶を飲んでいて思ったこと。
それは
「フルーツティーって、こうやって生まれたのかもしれない」
ということ。
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紅茶。
レモンティーを始め
ピーチティー、アップルティーなんかもある。
たとえばレモンティー。
こんなエピソードが想像できる。
紅茶を飲んでいたら、近くで唐揚げにレモンを絞っている人がいた。
勢いよく絞ったレモンの汁が、紅茶の中に入ってしまった。
仕方なくそのまま飲むと…あら不思議。
「!!!!」(お、おいしい)
この味がいいねと君が言ったから、今日はレモンティー記念日。
…
そしてピーチティー。
私のように、桃を包丁で切っていたらうっかり手をすべらせて、紅茶にインしたのかもしれない。
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で、何が言いたいかというと
何らかの失敗によって、新たなものって生まれてるんじゃないか?ということ。
で、何か失敗がないと、新たなものって生まれないんじゃないの?ということ。
かっこよく言うと、イノベーション?
たとえば、朝の出来事で考えてみる。
もし柿をスムーズに切って、皿に難なく載せていたら、この記事は生まれなかっただろう。
ただの紅茶を飲んでいたら、フルーツティーの起源を妄想することもなかったはず。
…
平凡な日常も大事。
でも、あまりにも変化がないとつまらない。
意図的に失敗することはできないけど、意図的に変化させることはできる。
自己啓発本の受け売りみたいだけど…
いつもと違う道を歩いてみたり
いつもと違うランチを頼んでみたり
いつもと違うコーヒーを頼んでみたり
少し変化させるだけで、新たな発見ってたくさんあるよねって話。
明日は、何のフルーツを食べようかな〜。