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隣のnoterについて思うこと。
しんちゃんさんの、この記事から考えたこと。
自分で手入れした芝生は
100%満足はしていないものの、
どこかに自分の現状のベストを出し尽くしたという
自尊心のようなものが視点に入ってしまう。
すると不思議なことに自分の芝の
改善点が公正な視点で見ることが
できなくなってしまうのだ。
(中略)
いつでも自分の芝を隣の芝と同じようにニュートラルな視点で見る事ができれば、私たちは自分の芝をもっとよくすることができるのではないだろうか。
これ、すごく分かるなあと。
他者のことは客観的かつ冷静に見られるのに、自分のことになると…難しいんですよね。
✅隣のnoterについて思うこと
自分のnoteは棚に上げてますが、他の方のnoteについてなら、聞かれてないのに脳内でフィードバックしています。
「え!面白いテーマ!」
「タイトル秀逸だなあ」
「ほっこりするなあ…いいなあ…(羨ましい)」
というプラスのフィードバックはもちろんですが、
「内容面白いのに、タイトルで損してる気がする…」
「改行したら、もっと読みやすい気がする…」
「内容盛りだくさんすぎて、お腹いっぱいだなあ…」
「おまえもな」と言われそうですが…。
人のことなら、客観視できるんですよねえ。
✅自分のnoteについてのフィードバック
これ、難しいですよね。
プラスのフィードバックは、コメントや記事紹介などで他者がしてくれる場合もある。
ありがたいですね。
でも、このnoteの世界で、改善点を指摘しあえる関係性を築く…って相当難易度高いですよね?
有料のライティング関連のメンバーシップとかに加入してる方は、そこで改善点をフィードバックし合ったりしているんでしょうか?
心理的安全性がある程度確保された環境でないと、なかなか実現が難しそう。
…って聞いたことあるなと思ったら、過去に書いてました。
ネガティブなフィードバックを受ける場合は、状況設定が鍵になる。
ネガティブなフィードバックは、信頼関係があって心理的に安全な相手しか受け取れない。
一応「人のふり見てわがふり直せ」という感じで、他の方の気になった箇所は自分ではどうだろう?と振り返ったりも…してる…か?
いや、してないな。
「あ、これ面白いわ…」と自分の世界に入って記事を書く。
そう、野口さんのように地味に笑いながら。
一応見直してはみるものの(見直さない時もある)、
「まあ、いっか~」と終了。
「甘~~い!甘すぎるよ~!」
(あれ?どこかで聞いたことあるやつ…笑)
✅で、どうしよう?
イメージでしかないのですが、手をパタパタさせて上の方に上り、上の方から下界にいる自分を見るイメージ。
メタ認知?というんですかね?
これができたら、いいのかなーと思います。
うーん、難しい。
でも、noteに限らず
「自分には甘くなりがち」
「客観視ができていない」
という事実を認めることが、まずは大切なのかなと。
…
え?
なんですか?
「甘~~い!甘すぎるよ~!」
ですよね。笑
ということで(?)
自分に甘いようこがお届けしました~。
スタコラサッサ~。←古
しんちゃんさん、素敵な記事をありがとうございました。
ではまた!
<あとがき>
隣の芝の改善点は見えるのに、自分の改善点は見えない。
これって、見えないんじゃなくて、「見ようとしていない」のかもしれません。スタコラサッサと逃げたりせず、自分の改善点と素直に向き合えた時、一つ前に進めるのかもしれません。(自分に言ってます)
今日もありがとうございました。
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