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修行に意味はない。研究をしよう。
へ?
どういうこと?
ホリエモンの本より。
以前、ホリエモンが
「寿司職人が何年も修行するのはバカ」
とツイートして炎上したらしい。
「そんなわけない」という批判が殺到。
でも…ホリエモン曰く
YouTubeで寿司の握り方を覚えた、寿司屋の大将。
YouTubeで料理を覚えた、割烹料理店の大将。
さらには、パティシエスイーツから研究した、寿司屋の卵焼きが美味しいなど…
「修行」ではなく、「研究」して成功している人もいる。
だから、「修行を積めばいい」というものでもない。
修行期間を長く積めば積むほど型にはまり、「それしか作れない」事態が起こるのではないか、と。
******
料理人って、修行を重ねてようやく一人前になる、みたいなイメージがありました。
パティシエがパリ?に数年修行に行ったりとか。
でも、今はYouTubeで何でも調べられる時代。
なので、必ずしも修行が必要ではなくて
自分で研究した方が良いケースも多々あるんだろうなあ。
そして…
一番よくないのは、10年修行したこと自体を「ありがたがる」ことだ。
「10年修行をして作った卵焼きなのだから、そこに価値がある」と思ってしまう。
同様に「苦労して何かの資格を取りました」というのも自分の中で「価値」だと思ってしまう。
価値は、「苦労」したことにあるのではなく、ユーザーが決めるものだ。
「10年修行をして作った卵焼きなのだから、そこに価値がある」
→これって、例えば10年会社で継続して働いているのだから、そこに価値がある…か?
長年働いているからといって、必ずしも価値があるわけではないですよね。
一般的に(?)会社員は、勤続年数が増えると給料も増えますが、必ずしもそこだけで価値は決まらないですよね?
修行積んだからって、偉いわけではない。
勤続年数長いからって、すごいわけではない。
修行を「ありがたがる」のは、もう時代に合ってないんだろうなあ。たぶん。
研究と修行はワケが違う。
どうせなら、意味のある「研究」に力を注ぐべきだ。
修行だけの人生より、常に研究しつづける人生の方が、なんだか楽しそうだなあと。
みなさんは、「研究」してますか?
<あとがき>
noteも「修行」になったら終わりかもなあと。
「他の人はどう書いてるのかな?」
「この人の記事は、なんでつい読んじゃうのかな?」と、日々研究を楽しみながら続けられるのが、理想かもしれません。
だから、「目指せ!365日!」ってハチマキ巻いて必死になるのは、「修行」なのかもしれないなあ。知らんけど。
今日もありがとうございました。
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