品切れメニュー、どう案内する?
先日、お昼に行った定食屋。
席につくと、店員さんがメニューブックを取り出し、ページを開いてくれた。
お目当ての定食があった訳ではなかったので、
「分かりました」と返事をし、別のメニューを見る私。
何にしようか悩んでいる間も、続々と入ってくるお客さん。
一組ずつ、メニューブックを開いて、品切れ定食を案内する店員さん。
それを聞いていて、思ったこと。
たとえば、メニューの上から「本日完売」などのシールを貼る。
メニューを見た人は「完売したんだな」と理解する。
それじゃあダメなのかな?
そんなことを考えていたら、先日読んだ本のことを思い出した。
鴻上尚史さんは著書「世間ってなんだ」の中で、以下のように書かれていた。
日本では「世間」との付き合い方は教えてもらえるが、「社会」との付き合い方を知らない、と。
だから
友だち(=世間)が困っていたら親切にできる。
でも、見知らぬベビーカー子連れの人(=社会)が駅で困っていても、すぐに助ける人は少ない、と言う。
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これを品切れメニューに当てはめてみる。
仮に私が定食屋をやっていて、友だちが来店したとする。
品切れメニューがあったら、「本日完売」シールを貼るだろうか?
…
おそらく、メニューを開いて
「ごめんねー!今日これとこれ完売なんだよね」
と言う気がする。
本日完売シールを貼るということ
=友だちと会話したくない、質問しないでね、という分断になるのではないか?
…
そう考えると、定食屋の店員さんはすごい。
と、口頭で案内している。
これは、世間と社会を分けていない、良い例なのではないか?
実際に、店員さんとお客さんの会話を聞いていると…
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店「こちらの〇〇定食と、□□定食は品切れです
」
客「あ、そうなんですか(残念そうな表情)」
店「こちら、数量限定なんです。開店のタイミングで来ていただければ、ご用意できますよ」
客「次回は早く来ます(ニッコリ)」
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こんな会話が聞こえた。
素敵な会話である。
シールを貼ったらいいのに、と思った私。
この思考は、きっと「世間」と「社会」を分けている人間の典型的なそれなのだろう。
…
そう思うと、なんだか自分が寂しい人間に思えてきた。
もっと人と「対話」できるようになろう。
▼鴻上尚史さんの本はこちら。