見出し画像

ブクログにPCで潜入!忘れてた私の読書人生

「あ、ブクログってPCからもログインできるんだ!」と気づいた瞬間、私の脳内にさざ波のように押し寄せたのは、これまでの読書とのあれこれ。積読の山、薄暗い二段ベッド、眼鏡の度が追いつかない絶望…。そして読書感想文という地獄の思い出。そんな私の「読書人生」を、笑いあり、涙ありで振り返ってみることにする。

読書感想文地獄:「面白かった!以上、終了!」

読書好きの私だが、「読書感想文」というタスクだけは、どうしても乗り越えられなかった。毎回、私の感想はこうだ。「面白かった!以上!」これが私のすべて。だって本当にそう思ったんだから、仕方ないじゃない?ところが担任は容赦ない。「どうして面白いと思ったのか、詳しく書きなさい」と言う。詳しくって何だ?心の中で感じた「ワクワク」や「ドキドキ」を、400字詰めの原稿用紙にきちんと並べろだなんて、それってもう呪いじゃないの?

さらに追い討ちをかけるのが、私の家庭環境だ。母親が本好きで、絵本を飛ばしていきなり文庫本に突入した私は、小学生のくせに妙に渋い本を読むようになった。『坊っちゃん』とか『吾輩は猫である』とか、漱石祭り全開。そんな本を読んだ後の感想文なんて、難しすぎて書けるわけない。案の定、担任にはいつも怒られる。「もっと具体的に書きなさい!」いや、具体的な「楽しさ」って何?何をどう説明すればいいの?

そもそも、小学生が感想文を書く意味とは何なんだろう。読書って、ただ楽しむだけじゃダメなのか?私はただ、本が面白かったという感情を大切にしたいだけなのに!感想文なんて、毎回怒られて終わる地獄のタスクだった。もう少し自由に楽しませてくれてもいいじゃないか…。いや、今さら言っても仕方ないけどね(笑)。

眼鏡と引き換えに得た読書の自由

夜な夜な二段ベッドの下で、こっそりと本を読む。それが私の幼少期の最高の楽しみだった。薄暗い中、小さな懐中電灯の光を頼りにページをめくる至福の時間。でも、当然の結果として視力は急降下。小学6年生で眼鏡デビューを果たし、その後も視力は悪化し続け、中学では度の合わない眼鏡をかけるハメに。「ガン飛ばした」と上級生に体育館裏に呼び出されたのは、いまだに鮮明に覚えている。あの積み木くずし時代の空気感、怖すぎるって!

それでも私は本を読むことをやめなかった。だって、読書は自由なんだもの。暗い中で目を凝らしてでも、物語の世界に飛び込む快感を手放せるわけがない。眼鏡の度が合わなかろうが、上級生に誤解されようが、私にとって読書は最優先事項だった。

そんな私も、今や立派な社会人(たぶん)。読書はもはや趣味ではなく、歯磨きと同じような日課だ。スマホでKindleを読む時代になったけれど、昭和スタイルの紙の本愛好家でもある私は、バッグに本を入れて温泉に行くことも普通。露天風呂で湯気をまといながらページをめくる時間は、もはや至福のひととき。周りから「なんでこの人、ここで本読んでるの?」みたいな視線を感じても、気にしない。いや、いいじゃん。人間の幸せなんて、他人にどうこう言われる筋合いじゃないでしょ?

こうやって、私は眼鏡と引き換えに読書の自由を手に入れた。今でもその自由を謳歌しながら、次の一冊に心を躍らせているのだ。

ブクログPC版の発見、そして歴史を振り返る

ブクログという読書管理アプリを使い始めたのは2012年のこと。「仮想本棚が作れるだなんて、何それ最高じゃん!」とテンションが上がり、さっそく登録。ところが、最初の月に登録した本が182冊。いやいやいや、絶対読んでないから!後から記憶を掘り起こしてみると、当時は本棚が満杯で、売る前に記録だけしておこうと思って一気に登録したものだった。PC版で久しぶりにログインして、この事実を思い出したときの「あ、そうだったわ…」という脱力感よ。

ついでに、自分の読書歴を振り返ってみたら、年間平均164冊。多いのか少ないのか、いまいち分からないけれど、2019年に269冊も読んでいたと知ったときはさすがに驚いた。なにがあったんだ、私!?改めて振り返ると、その年はストレスMAXだった気がする。読書とは、私にとって最大のストレス解消法であり、逃避手段なのだ。

本の世界に逃げ込むことで現実を忘れる。それは子どもの頃から変わらない私の癖みたいなもので、今でも読書をしていると無意識に「今の状況からちょっと距離を置こう」と思っている自分がいる。だからこそ、この数字を見ると、その年の心の状態が透けて見えるようでちょっと怖い。

ブクログに記録された数字は、ただの読書量ではなく、私の人生の足跡そのもの。PC版で久々に過去を覗いてみて、改めて「私、けっこう読んでるな」と実感。やっぱり、本と私の関係は切っても切れないものなのだ。


チャッピー君が棒グラフにしてくれたよ

読書感想文なんて要らない!自由な読書を楽しもう

PCで久々にブクログにログインして気づいたこと。「レビューなんて書かなくてもいいんだ!」この事実、衝撃だった。だって、今までどこかで「感想を書かないとダメなのかな…」って思ってたんだよね。でも、そんな義務感なんて必要なかったのだ。読書って本来、もっと自由なもの。読んで「面白かった!」と思えたらそれで十分!そこに理由を添える必要なんてないのだ。

考えてみれば、子どもの頃から「読書感想文の呪縛」に苦しめられていた私にとって、これは革命的な発見だった。あの苦行を思い出してしまう。「どうして面白いと思ったのか詳しく書きなさい」と詰められ、仕方なく言葉を絞り出していたあの時間。でも、今は違う。社会人になった私は自由!読書感想文なんて誰にも頼まれてないし、求められてもいないのだ。

だからこそ、今の読書タイムは至福そのもの。特に朝、湯船に浸かりながらの読書は最高だ。温かいお湯に肩まで浸かりながら、本の世界に没頭する時間は、私の心を整えてくれる。そして、軽く汗をかくことでなんとなく「これ、ダイエットにも良くない?」と得した気分にすらなる。一石二鳥のアクティビティ、これが私の日常。

レビューを書かない読書、それが最高の読書スタイル。感想をまとめるプレッシャーから解放された今、私は心のままに本を楽しんでいる。自由な読書こそが、私にとっての最高の贅沢だ。

2025年は200冊目指す。英語もね!

ふと思い立った。今年、私の読書数はまだ84冊。少ない!どうした私!?これじゃ「読書好き」の肩書きが泣く。そんなわけで、来年2025年は200冊を目指すことにした。200冊って、自分で言っててちょっとビビるけど、目標は大きく掲げたほうが楽しいよね。

ついでに、英語学習も絡めてみようと思っている。読書量を増やすだけじゃなくて、英語の本を取り入れる予定。簡単な絵本からスタートしようかな?いやいや、大人なんだからもう少し難易度上げてもいいよね?なんて、こういう無駄に壮大な妄想も、目標設定の醍醐味だと思う。人間、やっぱり目標を持つことで日々に活力が生まれるよね。

今回、ブクログのPC版にログインしたことで、過去の読書履歴を振り返ることができた。それがまた面白い!何年に何冊読んでいたかを知ると、その頃の自分の気分や生活まで思い出すから不思議。2019年に269冊読んでいたときのストレス感、2020年のコロナ禍で読書に逃げ込んでいた日々…。数字以上に、読書は私の人生を物語ってくれる。

そんな私にとって、ブクログは最高のパートナーだ。そして改めて感謝したいのは、「感想文を書かなくていい自由」。レビューを書くプレッシャーがないからこそ、本を読むことそのものに集中できる。ありがとう、ブクログ。そして2025年、よろしく私の新しい読書生活!

4o

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集