【発達障害と合理的配慮】"正しさ"よりも大切だと思うこと
20年以上、言語聴覚士というリハビリ専門職として病院に勤務していました。
赤ちゃんからお年寄りまで、様々な病気や怪我、障害のためにことばやコミュニケーション、食べることや飲むこと(摂食嚥下)に難しさを抱える方に対して、一人一人に合わせたリハビリをすることが仕事でした。
発達障害と合理的配慮について思うこと
20年前と比較すると、発達障害の特性や対応についての情報や支援のノウハウは、本当に驚くほど増えています。
一方で発達障害のお子さんやその親御さんの暮らしやすさや、学校での過ごしやすさが大きく変わってきているのかというと、実際に親御さんの話を聞いてきた経験から、残念ながらそうではない側面もあるように感じてきました。
子どもの特性の理解と対応についてのノウハウを積み上げて、社会や学校で適切な配慮を受けられるようにすることはもちろん必要です。
ただそれだけではない。というより前提としてもっと大切なことがあるんじゃないか・・そういうことを書きます。
支援の正解って何だろう
言語聴覚士として、発音の練習や学習面での配慮が必要なお子さんとの関わりの中で、学校での通級指導教室や特別支援学級の利用を親御さんに提案することがありました。親御さんに対してお子さんの症状や特性にもとづいて必要性を説明をしたり、学校で担当してくださる先生に対しても情報提供をしますが、私自身経験があまりなかった頃は、とにかく正しい知識・ノウハウをきちんと伝えなくては・・そんな気持ちで親御さんや先生と関わっていました。
そして支援を利用して良かったというお子さん・親御さんの話を聞くと
「1対1でみてもらえてうれしいみたいです!」
だったり
「通級の先生にいつもいろんな話(愚痴も)を聞いてもらってるから、これからも行きたい!」
そんな話をしてくれるお子さん・親御さんが多かったんです。
それまでは、その子に合わせた”正しい”練習や対応をすることが一つの正解だと思っていました。でも方法がどうかよりも、1対1だったり少人数で対応してもらう場所ができたことで、学校で自分のことをちゃんと見てくれる・自分の話を聞いてくれる大人が一人でもいるそういう感覚が子どもにとってはすごく大切なんだろうな・・・そんな風に感じたんですね。
「味方」として
新米言語聴覚士だったころの私を振り返ると、お子さんや親御さんに対して、自分の考える”正しい支援”を一方的に押し付けてしまっていた・・そう反省しています。
その時その時で
\その子が望んでいることって何だろう?/
\その子が困っていることは何だろう?/
子どものことばに耳を傾けて
子どもの気持ちを想像して
「味方」として一緒に考える。
みんながまずはそこからスタートすればいいんじゃないかな。
今はそう思っています。
「正しい配慮が行き届いた社会」より
「味方がたくさんいる社会」のほうが
何だかワクワクしませんか?
最後まで読んでいただきありがとうございます。