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「変わる」ということ

旧正月ですねぇ。

立春からはいよいよ2025年も本格始動!
どんな1年にしていきたい?どうありたい?
なんて考えたり
話したりすること、増えますね~

昔は、というか、数年前まで
こんな「自分」じゃなくて
もっと○○のように「変わりたい!」と
願っていたなぁと
ふと思ったんですよね。
全然違う「誰か」になりたかった。
例えるならチュウリップなのに、
一生懸命ヒマワリになりたがってた。

チュウリップの良さも
ヒマワリの良さもある
咲く時期も違う
のに、頑張る方向性が違うというか
そもそも別物やんか!(笑)
そりゃ心折れるわなぁと。

人が「変われた」と思うのは
元々そういう部分があって「変われる」のであって
全くの別物にはなれないんだよなぁ~

最近すごく近しい友達に、
心理を学んで変わったんだ~なんて
話していたとき。
「わたしは陽子ちゃんは昔のままで、
変わったとは思わないけどなぁ」と言われて。
聞いたら、友人はわたしの性格的なところをみていて
わたしは、好きなことを仕事にして発信できるようになった
自分の行動力とかのことを話ていた。それを話すと
「そか、そういうところね!たしかにね!」と。
つまりわたしの性格が全く変わったわけではなく、
もともとあった願望や眠っていた行動力が
思考の方向が変わって出せるようになった、ということかな。
そこからいつものごとく、さらに深い話へと話題はすすみ。
とても聡明で賢く、素晴らしい行動力に優れた彼女から
「わたしのアドバイザーやわ」と言われると、
素直に嬉しかったりもする。

自分のことをわかっている部分(顕在意識)なんてほんの数パーセントで
あとの90%以上は知らない自分(潜在意識)
だから、人は「変われる」
だってそこには未知数の自分がたーーくさん、いるから

ただ、自分以外の「ほかの誰か」にはなれないだけ

勉強会にて。外からみた「わたし」に衝撃受けてる笑

「変わる」とは
着ている鎧を脱ぎまくって
こうあるべき、こうあらねば、という
「鎧を着た自分」を一枚一枚脱いで
本来の自分を探しにいくことなのじゃなかろうか、と
あ、でもすっぽんぽんでは恥ずかしいから服くらいは着ようね(笑)
という感じがベストかなぁ~(あくまで私のベストね)

そんなことを考えているここ数日でした♪

最後まで読んでくれてありがとうございました!
ほなね☆





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