#フォルマント兄弟

落穂拾い:『人新世の「資本論」』における芸術の価値についてー「ドイッチュ『無限の始まり』における持続可能性批判についてのメモ」余録(3)
「他者」を客観的な分析対象とするのではなく、「他者」として迎接し、歓待することとしてまず思い浮かぶのは「他者」との「対話」です。しかもそれは何かの目的を達成する手段としての対話であってはならない。それでは「他者」として迎接し、歓待することにはならないからです。ハイデガーの『存在と時間』においてはDas Mannの頽落態としての「おしゃべり」という劣化した様態が取り上げられますが、「おしゃべり」はとりとめなく、何かを達成する手段ではない替わりに、ここでいう「他者」の迎接・歓待

「フォルマント兄弟の”お化け屋敷”」再考:シンポジウム「メディアアートにおける音楽とはなにか」および「プレゼンテーション道場」報告書を受けて
「みえないちから」 Vibrations of Entities 2010年10月30日~2011年2月27日:NTTインターコミュニケーションセンター[ICC]ギャラリーA シンポジウム「メディア・アートにおける音楽とはなにか」 The Definition of Music in Media Art 2011年2月25日 19時00分~20時30分:NTTインターコミュニケーションセンター[ICC]4階 特設会場 出演者:三輪眞弘(フォルマント兄弟),吉岡洋,佐々木敦,