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『京都の門掃き』

 『京都の門掃き』とは、狭く窮屈な京の町中で暮らすときに、大切な人付き合いルールのひとつなのだとか。
 かなり昔の昭和時代、4年間、京都に住んだ経験ありますが、京都はなんだか難しい(^^;;。

 狭い街なので、自分の家の前を掃除するとき、お隣さんの家の前もちょっとだけ掃除しておく。

 これが、やりすぎると「おせっかい」、全くやらないと「無視」とか「無関心」で角が立つ。

 角が立たない程度の門掃き。ご近所づきあいでその案配はけっこう難しい。

◆人間関係の微妙な塩梅
 しかしながら、この塩梅(案配)が人間関係の気遣いにつながり、生きやすさにもつながったりして(その逆も真なり、ですけどね)。

 振り返って、京の人混みにも似た会社組織でお仕事するとき、京の人付き合いルールは参考になる?

 心理学者A・アドラーいわく、『人間のすべての悩みは、対人関係の悩みである。』(「嫌われる勇気」岸見一郎著(2013)ダイヤモンド社より)と言い切るくらい、人のお悩みは人間関係にあり。

 ごちゃごちゃ人が集う会社は、人間関係の坩堝。会社内は悩みだらけかもね。

◆人間関係の微調整には「雑談」?
 こうした人のお悩みたる人間関係の“案配”は、「日常会話」次第か・・・。

 近年、ビジネススクールやセミナーでは「心理的安全性の確保」というテーマで、コミュニケーションの大切さを教えていただけ、特に「雑談」を勧める講師も多くなっている印象があります。

◆雑談。大切だよなぁ。
 本当に雑談ができるようになると、こんなメリットがあるんだそうです。

   ①無知・無能だと思われる不安がなくなる
   ②邪魔していると思われる不安がなくなる
   ③ネガティブだと思われる不安がなくなる

 関わりが薄れると、<○○と思われているかも>という恐怖心が暗い影を落とすようです。そんな恐怖からの対人リスクを減らすためには、今も昔もとりとめのない会話(雑談)が良さそうですよ。

◆門掃きは感情労働?
 ひと昔前に雑談していたら、「無駄口叩く暇あるなら黙って手を動かせ!」って怒られたよなぁとの記憶。

 昔は、今は機械がする作業も、だいたいは人間がやってきた。
 当時は機械のように働く人間を育ててきたんだと考えても何ら不思議はない。だから、「黙って手を動かせ!」にも、当時は一理あったんだ…。

 ただ、機械がどんどん人間に代わり肉体労働や事務労働を担い、この先、人間に残される仕事は感情労働くらいになるのかなぁ。

 京都の門掃きも、詰まるところ人間関係の案配。これは感情労働にヒントをくれる行いのひとつかもしれませんね。
 身近なご近所付き合いには、他に今でも学びはたくさんありそう。

 その昔、井戸端会議に花が咲いていたのは、人間関係を良好に保とうということの現れかもしれませんね。

◆誰かと話そう
 今日は仕事や学校が終わったら、雑談ネタを探して、街歩きや家族や知人・友人とぺちゃくちゃ会話、チャットやネットゲームで会話しながら、あれこれネタを仕込んでみるというのはいかがでしょうか?

 以上、雑談話、失礼しました。


          yoitenki4110

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