真面目過ぎるが故の災い
こんにちは。
介護をきっかけに、人生転機が一度にやってきた
yoikoです。
本音を言えば、疲れてます。
そんな中でも、
経験から解った事、感じた事、愚痴っぽくなるやも知れませんが、心境を吐露しようと思います。
実は、こんな事がありました。
2021年早々、コロナ禍で社会はざわついてる最中、父からの突然の電話。
これが、災いの始まりでした。
『親の介護は子がすべきだ❗️』
暗黙の了解であり、我が両親の考えです。
介護する側に至ったわたくしからすると、両親の考え方に温度差を感じ、そして、精神崩壊が始まり、お互いの心情の根深さをまじまじ感じた1ヶ月でした。
父は95歳、母は91歳。
2人とも超がつくくらいの頑固者であり、一筋縄ではいかないのです。母は認知症、膝が悪く、父は余命半年と、入退院の繰り返し。特に父は自分本意は絶対的であり、この事が後々のわたくしを苦しめる事になったのです。
介護サービスに反発
長い間、自由気ままに、社会とあまり接しない年金生活、コロナ禍と聞いても古いもの思考なのか、関心がない様子のふたり。
しかし老いと言うのは、突然やってくるのです。その変化を受け入れようとしなかった、父と母。
老老介護の始まりです。認知症である母の介護を父1人では、体力的、精神的に負担であろうと考え、ホーム入所、デイサービス、ヘルパー利用等を私は強く進めたのです。
応えは、NO。
父は、まだ大丈夫!自分はやれるんだ!と言う誤った過信の持ち主なのです。
その後も、問題があるたび、時間調整しては帰省するの繰り返し。地域包括センターのサポートもあり、ようやく2年前から母のデイサービス利用がスタートしたのです。
介護離職
私は昨年末、職場を退職しました。介護離職したわけではなく、結果、残念なことにそうなってしまいましたね。
事前準備が出来ないままに。
職場事態、仕事内容に不満はなかったのです。人員不足のため、通常2人で行う仕事を1年以上、私ひとりでこなしていました。
しかし有難い事に、周りのスタッフ、アルバイトの助けもあって最終日まで無事完了できた事に今でも感謝しています。
一番の退職理由、上司のあからさなモラハラ、パワハラに嫌気がさしたことですかね。まさか、この歳になるまで、自身がそんな経験をするとは思っても見なかったことですが…
シングル介護1ヶ月
離職したことを良い事に、好条件となったのはただひとり、父です。
退職=実家帰郷を父の頭に強く印象付けたようなのです。
当然、私の家族、生活、気持ちなど完全無視でした。
父とは普段から会話などしない、殺伐とした関係でした。高齢になればなるほど、顔を合わせれば、急に思い出したかのような嫌味の連発。認知症の母でさえ、父の心ない言動の記憶が甦るのか、苦労した事を時折思い出しては愚痴っていましたね。
家事など、そつなくこなせる自分に嫌悪感を感じる日々、24時間体制の、まるで存在しない黒子状態でした。
その後、父の再入院、母がいるホーム入所先での誤解が生じ、拗れてしまった父との関係。いつもの私に対する父からの攻撃、やりきれず、一線を置くため、私は介護を放棄したのです。
待っていたのは生活崩壊
自宅に戻ると、疲労に加えた虚無感と焦り。
収入は途切れ、生活は逼迫。介護1ヶ月という時間とコロナ禍に翻弄されてしまいました。
この時ほど、姉兄や相談相手いてたらな~なんて思う事も。しかし、頼れるのは自身だけ、再就職、年齢不問とあれど、やはり年齢、スキル、学歴は日本の仕組みですよね。
迷走している時間はないのですが、負の連鎖、精神的疲労はかなり今でも響いています。
これからどうなりたいのか
先が見えない焦り、こんなはずではなかったのに…という後悔が頭を過るのです。
行動起こせば変化の期待はある、が、しかしその一歩が動けないのです。
将来どうなっていたいのか、興味あること、強みや経験を生かせているか…
精神不安や葛藤はあるものの、秋の資格取得を目指している今の自分がいて、将来は親しい仲間達と再度共に仕事をしている思いを想像してみることにした。
軸を建て直し、自分再生の一歩です。
溝はなくならなくても
介護問題は、直面しなければ事実わからないものである。
自然に、老いはだれにでもやってくることです。
片方の希望を汲み取るのではなく、お互いの人生を守らなければ、それはただの『害』なのです。
だからこそ、親も子健康なうちに理解し学ぶ、そして介護される側、する側も、知識を身につけなければならないと実感いたしました。
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