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アルゴリズムに振り回されない暮らし

今や、ほとんどの人がパソコンやスマホを使っていると思う。

私の75歳の母もITにうといとはいえ、らくらくスマホをもち、紙の新聞だけでなくネットでもニュースをみている。

たぶん購入時の設定なのか、Yahoo!ニュースが定期的に配信され、通知がきているようだ。


母との会話

母:「いつも同じようなニュースが来るのよねえ。」

私:「それはそうだよ。お母さんが見た記事に関連するニュースが送られてくるんだから。」

母:「そうなの。」

この会話を何度繰り返しただろう。

20年以上前に夫に先立たれ、今はひとり暮らしの母はテレビがお友達となっている。韓国ドラマやジャニーズに元気をもらい、キンプリがいいだとか永瀬廉がやっぱり一番だとか言っている。

関連記事をスマホやタブレットで見ているんですね。たまに私がメンテナンスすると閲覧履歴が目に入ってしまう。それはそれで元気な証拠と私は安心している。

閲覧履歴に基づいて関連ニュースをどんどん流すアルゴリズムになっている。見れば見るほどその情報は蓄積され、履歴情報は配信元に知らず知らずに提供されている。

母にはその仕組みがわかりにくいようだ。
たまたまクリックしてしまった記事もあるようで、なんで?と思うような記事が次々と表示されて困ってもいるようだった。

とっても便利な技術

ネットのニュースサイトやYouTube、Instagramなど、全てのネットサービスにはこの仕組みが含まれている。

YouTubeで一つ動画を見るだけで、どんどん関連動画が表示される。自分で検索しなくても、興味深いコンテンツがプッシュ通知されるのはとても便利だ。

ショッピングサイトにいけば、購入履歴や閲覧履歴からあなたの好みはこれでしょという情報をどんどん表示してくれる。

提供元にとっても、ビュー数が増えたり、買ってもらえそうな人のところにコンテンツを届けられて購買につながるというのは素晴らしい技術ですね。

便利さの裏側には

しかし、便利さに依存しすぎると、人の視野はどんどん狭まり、同じ興味を持つ人々、同じ考えを持つ人々とのつながりばかりが深まり、異なる意見に対する興味や関心が薄れてしまう危険性があると思う。

そうすると、人と人、国と国との分断が生まれたり、分断を助長してしまうかもしれない。実際に世の中はそうなっている傾向があると思う。

特に、私は2人の子供を持つ母として、子どもたちが偏った考え方になってしまわないか、とても心配している。

彼らはまだ成長過程にある。インターネットのおかげで、世界を広げていることは間違いないが、インターネットがもたらす閉じられた情報空間に取り込まれてしまうことがないよう願っている。

どんなに制限しようとしても、どんなに工夫しようとしても、スマホやYouTubeの使用時間をゼロにすることはもちろんのこと、なかなか減らせないんですよね。

人間はとんでもないものを開発してしまったなと時々思う。


書籍や本屋さんがやっぱりいい

一方で、紙の新聞や書籍を読んだり、図書館や本屋さんをぶらりとすることは、せいぜいポスターが目に入るぐらいで、強制的に行動が誘導されることはない。

色々な分野の情報や書籍が同じレベルで並んでいて、その中から自分自身が興味を持ったものに目を向けることができる。これは自然なことですね。

私は新聞も紙が好きだ。
ざーっと眺めてタイトルを読み、興味を持った記事をじっくり読む。

目的がはっきりしている場合はインターネットで検索したほうがはるかに早い。しかし、新聞をざっと眺めたり、目的なく本屋さんをぶらりとすると、思いがけない出会いがあったり、いろいろな分野の情報も目に入ることから視野を広げることができる。

振り回されない暮らしをしたい

ネットサービスは便利だと思うが、付き合い方はとても重要だと思う。

サービス提供者のアルゴリズムに流されるまま、どんどん沼にはまってしまうのはおそろしいこと。

もしもそれが、もっと自分の視野を広げてくれるようなアルゴリズムなら良いけれど、ただ同じテーマであるならば、深掘りできても考え方が偏ってしまう可能性があると思う。

私は、アルゴリズムに振り回されない暮らしをしたい

とは言っても、ネットショッピングをすると、つい注文画面でおすすめされた商品をカートに追加してしまう。

やはり抜け出せない。

まあ、これは実店舗でもレジの近くに低価格商品を並べて、買い物を促進することと同じかしら。それくらいはよしとしたいかな、と思っている。

アルゴリズムに振り回されすぎない暮らし」がちょうどよさそうだ。




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