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noteの本来の良さを私は忘れていた

お久しぶりです。よはく。です🌱
秋の風が涼しくなってきましたね。

前回の投稿からいつの間にか1ヶ月ほど経っていました。

私の投稿を見てくださっていた方は、ぱたっと投稿がとまり、おやおや?となっていたかもしれません。

以前のつぶやきで

という投稿をしたのですが、その際自分自身何か始めたいと思い、思い立ったのが毎日note100日チャレンジ。

20日ほど続いていたのですが、何を書くかパッと浮かばない時もあり、しまいには

を日付が変わるギリギリに投稿する始末。
「おやすみなさい」て、おいおい。。。

この投げやりな投稿をしてしまった自分に何かぷつんと嫌気がさしてしまい、ここで100日チャレンジは幕を閉じた。

それから、思い立った時に投稿すればよかったものの、積み上げてきたドミノを倒してしまって、また立てたくない時のようにnoteを投稿しなくなった。

本当に自分は完璧主義で0、100な人間だなと改めて思う。

自分の中で小さなルールを決めることで、思ったことや経験を「楽しく」発信することを奪ってしまったようだ。

ルールを決めることがいけないということではなく、そのルールは身の丈に合っているか。そこが重要だと思う。

毎日投稿は、成長、達成感があり、たまに投稿するのとは違う「習慣化する楽しさ」を得ることができる。続けられる方は本当に尊敬する。

でも、私がこのnoteとの向き合い方としては、「おやすみなさい」のように適当になってしまう文章を発信してしまうくらいなら、落ち着いて制作したいし、思いを込めたい。

他のSNSとは違い、ここでの私は
双極性障害ということをオープンにしているし、その過程を見てくれる人がいる。

入院している時も、その時の気持ちや経験をありのままに書いて、スキやコメントをもらうと、受け止めてくれる人がいるんだと希望に変わった。

こんな大切なプラットフォームをちっちゃなプライドで終わらせてはいけない。

これからはぼちぼちで顔を出すと思うので、覗きに来てください📖

p.s.この思いに気づかせてくれたちょこさんありがとうございます🍀

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