社会人5年目の就活。僕は、就活をしたことがない
僕は就活をしたことがない。
大学を中退しているから、早々に新卒採用ルートから外れてしまった。
就活をしなかったおかげで、いや、就活をしなかったせいでもあるのだけど、それほど自分自身と向き合うことなく、言わば成り行きで生きてきた。
そんな人生をどこか「自分らしくて良いな」と思う反面、「このまま成り行きで生きてて良いのかな」とモヤモヤを抱えていた。自分と真正面から向き合うまとまった時間が必要な気がした。
あれから1年。
この1年間、人生で一番自分と向き合う時間を確保できたし、自分なりに自分自身と向き合ってきた。就活生がやるようなことも、たいていやってみたと思っている。
そのうえで、「やはり分からない」というのが結論だ。
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「実際に社会に出て、やってみないと分からないよね」
自分から就活生にかけた言葉が、妙に忘れられない。
就活生は、それまでの約20年間の人生を必死に振り返り、「自己」を明確にしていく。強みや弱み、性格、実績、そんな無数に散らばった点を、過去、現在、未来に渡って一本の線で繋いでいく。
しかし、ほとんどの学生は「社会に出る、企業で働く」という経験をしていない。
だから、最後の最後で決め手に欠ける。
「本当にこれが自分のやりたいことなのだろうか」
「本当にこの会社で良いのだろうか」
そんな時、こんな言葉をかけてみる。
「実際に社会に出て、やってみないと分からないよね」
何だってそうだ。結局、やってみないと分からない。
だから、その時の自分の直感や意思を信じるしかないし、一度決断してしまったら、あとは「この決断で間違いなかった」と思えるような人生を歩んでいくしかない。
そんな思いを込めて。
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ただ、やはり分からない。
曲がりなりにも約5年間社会人を経験してみて、つまり、僕は「やってみた」わけだけれど、いまいちピンと来ていない。
やってみて分かったのは、「やはり分からない」ということだけ。
「自分のやりたいことなんて、果たして本当にあるのだろうか」
「“やってみないと分からない”の“やってみる”は、一体いつまで続くのだろうか」
多分、僕はまだ“やってみる”の段階なのだと思う。
もっとたくさんやってみる必要があるのか、もっと深くやってみる必要があるのか、量と質のどちらが必要なのかも探らなければいけない。
この文章を通して伝えたかったのは、「結局、やってみたところで分からないよ」というネガティブなメッセージではない。
「やってみたら、必ず何かが分かる」ということだ。
その何かは、その仕事や会社の向き不向きかもしれないし、「これが自分の天職だ...!」という感覚かもしれないし、僕みたいに「まだ分からない」というモヤモヤかもしれない。
就活をする前だって、きっとどこかで「就活をしたら“自分自身
”や“自分の人生”が明確になる」と明るい未来を描いていたかもしれない。
けれど、蓋を開けてみると、自分自身についてかえってよく分からなくなったり、これからの人生について不安やモヤモヤを感じることが多かったりする。
ただ、やってみて分かったことが何であれ、それは決して「間違い」ではないし、自らの過去の決断を否定するものでもない。
自分の感じること、分かることしか結局は信じられないと思うから。