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#アラサー #20代

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#自分の人生

流れに身を任せて、人生を漂う

僕らは人間だから「何も感じない」なんてことはないのだけれど、自分の感情や感覚を一々記憶してはいられない。 だから、こうして文章を書いて、嫌でも自分が「日々何を感じて生きているか」を思い起こす機会を作っているのかもしれない。 言葉が全く出てこなくて「どうして書き始めちゃったんだろう」と後悔することも少なくないし、感覚をうまく言葉にできなくて都合の良い言葉に逃げてしまうことだってある。 そんな苦悩を経てまでして書くことが果たして本当に楽しいと言えるのか、いまだに疑問は消えな

"何者かになりたい"という暇人の欲求

何となくモヤモヤして、何となく自分と向き合っているうちに、都合よく連休は終わってくれる。 そしたら、またいつもの日々が始まって、目の前にある仕事をこなしていればそれで良い、そんなどこか物足りないようで実は満ち足りた日常が戻ってくる。 飲み屋で愚痴をこぼす人も、朝の電車でSNSに憂さ晴らしをする人もみんな、嫌だ嫌だと言いながらもちゃんと仕事をする。連休で時間ができて、このままで良いのかな?なんて考えてみるけれど、結局何も変わることはなく、日々を過ごしていく。 人生とはきっ

悩む自分のことが好きなだけ。気配のない眠気を待ち続ける夜

「眠れない」 ディズニーランドへ行く前夜とか好きな人に会える前夜とか、「明日が楽しみ過ぎてこのまま眠れなかったらどうしよう、何ならもう今日じゃん」なんて考えた、忘れられない夜が確かにあった。 「眠れない」 年齢を重ねたから、いや、年齢だけを重ねてしまったからなのか、“それっぽいこと”が書かれた本ばかり読むようになってしまったからなのか、小難しく考えるのがカッコいいと思ってしまう年頃だからなのか、夜、頭の中が活発に思考する。 「自分のやりたいことってなんだろう」 「自分

誕生日だから、人生の成功について考えた

以前行ったモヤモヤ企画に、久しぶりにモヤモヤが。 人生の成功・・・。 人生の成功者とは言えない僕が「成功」について書くのはおこがましい気がするけれど、成功者ではない僕がイメージする「成功」の景色や全体像を考えてみたい。 「人生の成功」について考える時、こんな言葉を思い出す。 人生の成功について語られた本や名言、これらのほとんどは“成功者によって語られていること”を念頭に置かなければならない。 例えば、いわゆるお金持ちの人が言う「お金が全てではない」という発言は、確か

24歳と365日、今思うこと

「明日誕生日じゃん、俺」 コーヒーを淹れながら、思い出したかのようにそう呟く朝が何とも日常的に感じられて、自分にとって誕生日がすっかり非日常ではなくなってしまった感じがして、少し淋しくなった。 - 自分が思う以上に、1年間で何かが大きく変わることはない。自分を取り巻く環境も、そして、自分自身も。 23歳と365日目、「今までの人生は、変化に身を任せすぎた」という実感があった。 だから、24歳の1年間は「自分から巻き込み、変化を作りたい」と決意した。 結果的には、思

何者かであるために、僕らは自分をアラサーと呼ぶ

僕らは、自分が「何者であるか分からない」と日々悩みつつも、何とか何者かであろうとしている。 「アラサー」 というのも、自分が何者であるかを表現するための一つかもしれない。 僕らは自分が何者であるかを表現する時、 といった要素で、自分が何者であるかを構成していく。 そこに、「アラサー」や「独身」といった肩書きも付け加えて。 少しでも華を持たせたくて、検定や資格、学生時代に獲った賞を何とかかき集めて履歴書を埋めていくように、「何者であるか」を表現しようとする。 ああ

25歳、息するように感じる不安と焦り

20歳を超えてから、希望や期待よりも、不安や焦りの占める割合が年々高くなってきている感覚がある。 何もしない時間を過ごせば焦燥感に駆られ、だらだら眺める画面の先の他人の人生に「自分はどうなんだ」と不安を感じる。 昔は、何も考えずただただ直感で生きていた。 もちろん、当時は当時の自分なりに考えてはいた。 けれど、年齢を重ねるにつれ、築き上げてきたものや得たものも、少しずつではあるがそれなりに増えてきて、徐々に“手放す”ハードルが上がってきている。 「やっちゃいますか!

「知り合いがYouTuberなんだよね」なんて言っているうちは

20代前半くらいまでは、活躍している知り合いや我が道を行く同級生を、どこか他人事のように捉えていたけれど(他人なのだから、そりゃそうなのだけど)、段々他人事のようには思えなくなってきたというか、素直に喜べなくなってきた。 昔は、 「知り合いがYouTuberで、チャンネル登録者数十万いるんだよね」 「同級生が起業して、今どこどこに住んでいるんだよね」 「学生時代の友人が、〜〜で全国1位なんだよね」 なんて、どこか誇らしげに言えていたけれど、 「いつまで“言っている側”

「あ、今つまんない人生送ってるな」みたいな感覚

ふと、そういう感覚になる時がある。 何がつまらなくさせているのかはあまり心当たりがないけれど、自分の中の「おもしろい人生」と比較した時に、そう感じるのだと思う。 自分自身の人生の過去・現在との比較ならまだしも、たいていは他人の人生との比較になってしまっている。 他人の人生と言っても、特定の一人というわけではなく、漠然とした「〇〇している/できる人生」といったイメージに過ぎない。 この1年間そう思う機会が、どういうわけか増えた。 周りの環境の変化が大きな要因だろうけど