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悩む自分のことが好きなだけ。気配のない眠気を待ち続ける夜

「眠れない」

ディズニーランドへ行く前夜とか好きな人に会える前夜とか、「明日が楽しみ過ぎてこのまま眠れなかったらどうしよう、何ならもう今日じゃん」なんて考えた、忘れられない夜が確かにあった。

「眠れない」

年齢を重ねたから、いや、年齢だけを重ねてしまったからなのか、“それっぽいこと”が書かれた本ばかり読むようになってしまったからなのか、小難しく考えるのがカッコいいと思ってしまう年頃だからなのか、夜、頭の中が活発に思考する。

「自分のやりたいことってなんだろう」
「自分も、あの人のような生き方をしたいな」
「けど、やりたいことも得意なこともないしな」

思考という名で美化された、堂々巡り。

「自分のやりたいことが分からない」

解釈するならば、自分のやりたいことが分からず漠然とモヤモヤしている、といったところだろうか。要するに、漠然としたモヤモヤなだけであって、「やりたいことを見つけたい」という願望ではない、ということを言いたい。

僕らは結局、やりたいことが分からずモヤモヤしている自分自身が、どこか好きなのだ。皮肉にも、そんな一面を少なからず自分自身の中に持ってしまっている。

ただ漠然と悩み、漠然と思考し、漠然と行動する。

やりたいことを見つけて何者かになりたいのではない、やりたいことが分からずモヤモヤする自分、やりたいことが分からないなりに考えたり行動する自分、そんな自分こそが“何者かになれた自分”なのだ。

「自分は、君らと違って決して現状に満足していないぞ」
「自分は、君らと違って普通の人生を生きるつもりはないぞ」

実は、そんなメッセージさえ発信できれば十分なのかもしれない。

インディーズバンドが好きなのではなく、インディーズバンドを好きな自分のことが好きなのだ。その事実の方がよっぽど大事なのだ。そのためにインディーズバンドの音楽を聴き漁る、青すぎたあの頃と本質は変わっていない。

「眠れない」

やりたいことが見つかる日、そもそもやりたいことなんて必要ないと納得できる瞬間、やりたいことなんてどうでもよくなるほどの没頭や忙殺、どれが一番先に訪れるだろうか。どれに期待してこのまま待っていればいいのだろうか。もし、どれもなかったら、どうすればいいのだろうか。

今日も僕は、限界のなくなった天井を見上げ、気配のない眠気をただただ待っている。

考えたこと、まとまらなかったこと、明日の朝には全てどうでも良くなっている、きっとそのはず。

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