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昔の本を読む。昔の私に会う。そんな僕に出来ることはまだあるかい?

咳は止まらず、鬱もとまらず。

一日中横になっていた。
起きていたのは、薬を飲む時。
明かりはない部屋で、ひたすら襲い来る咳と鬱に耐えていた。

YouTubeを見ていたりしたが、内容はほとんど頭に入らない。本を読むのは脳みそを使う。今の状況では、何をするにも辛かった。

なんとなくYouTubeを見ている。
ぼーと見ている。しばらく見ていると、脳みそが破裂しそうになる。頭が痛い。

何度か別の行動をしないといけない。
そんな時に、私は読めなくてもいいかと本を開いた。開いた本は、昔読んだ、懐かしいものだった。

阿佐田哲也著『麻雀放浪記』

私が新卒で入った会社を辞めた時に読んだ本だった。

会社を辞めて、この小説に出てくるようなアウトローのようにやりたいと思わせた小説だった。

やれることは博打だけ、負ければ死ぬだけさと言う中でやる博打の数々。今の時代ならクズと呼ばれて仕方ない連中がわんさか出てくるが、そのクズ達の生き様に私は憧れた。

本当に、博打で身を立てようなんて思っていた。本当にバカである。けど、若い日は自分の生き方を模索していたんだろうなと、感じる。

他の本も、過去の自分に会いながら、少しずつ読んでいく。

三田誠広著『天気の良い日は小説を書こう』には、より過去の自分に出会えた。

国語の先生に「小説家になりたい」と言ったら、勧められた本だった。早稲田大学で実際に行われた小説を作る授業の文字起こしをした本である。

これが、しっかりとマーカーや線が引いてある。真剣に、私は小説と言うものに向き合っていたんだなと思う。「文学しかないと思うな、しっかり働け」と言う箇所に線が引かれてあり、当時の私としては文学一直線で生きることはしないほうがいいと思ったみたい笑

けど、一般企業では働けなかったなぁ。
そんなことを、思ったりする。

薦めてくれた国語の先生に「過去に読んだ本は読み返しなさい。自分がどんなことを感じていたか、思考のタイムスリップが出来る」みたいなことを言っていたような気がする。(その人は本に線を入れたり書き込んだりする読書を進めていたので、何もしない人にはあまり効かないセリフかもしれませんね)

なるほど、あの先生の言っていたことがわかる。すっかり私は当時にタイムスリップしていた。本を読み返すのは、実にいい。

今日はしばらく三田先生の書かれた小説を書く為の本を、眠くなるまで読んでみたいと思う。

びっしりと書き汚れた本を読んで、一体どんな自分に再び会えるのか、楽しみである。

小説、小説ね。
もう諦めた夢を、いつまでも追い続けている。情け無いったらありゃしない。

関係ないかもしれない話ですが、

RADWIMPSの歌で、新海誠監督の作った「天気の子」の主題歌「愛に出来ることはまだあるかい?」と言う歌があります。

あの歌の「愛」とは「物語」のことを指すと言う解釈を聞いたことがあります。

前作の「君の名は」以上の期待をされていた、新海誠監督の「物語を作る意味とは?」と言う思いがあの歌に込められているとか(本当か?)

愛の歌も歌われ尽くした
幾多の映画で語られつくした

RADWIMPS「愛にできることはまだあるかい」

そうなんです、私が物語を作る前から、物語は語られ尽くしたんです。たくさんの媒体で語られ尽くしたんです。

何百年も前から人々が魂を込めて、作品を作り続けて来た。たくさんの人々が物語を生み出して来た。

私が新たに、何か物語を作るだなんて、おこがましい。私はそう思います。

しかし、この歌は最後こう終わります。

愛に出来ることはまだあるよ
僕に出来ることはまだあるよ

RADWIMPS「愛にできることはまだあるかい」

幾多の映画やドラマ、アニメ、そして小説で、物語は語られ尽くしたとしても、まだ我々には出来ることがある。と言う終わり(本当か?)

新海誠監督は大好きだし、RADも大好きだ。
私にもまだ出来ることがあるならば、もう一度ペンを取りたいと思うのである。

それは一体いつになるだろうか。
楽しみである。

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