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「純潔のマリア」処女喪失すると、魔力を失う宿命の魔女

今回は、アニメ「純潔のマリア」について書きたい。
これは谷口悟朗監督作品で、彼の代表作「コードギアス」や「プラネテス」ほど有名ではないにせよ、傑作として名高い作品である。
制作はProduction I.G
中世のフランスが舞台、魔女が主人公のファンタジーなんだ。

「純潔のマリア」〔2015年)

上の画の中央の女性が、ヒロインのマリア。
かわいいけど、正真正銘の魔女である。
だけど中世ヨーロッパ舞台の魔女モノとなると、皆さんもよくご存じだろうが、決してほのぼのファンタジーじゃ終わらないのよ。
なぜって、魔女というのはローマ教会にとっては「異端」であり、この時代の欧州では「魔女裁判」で数多くの女性が火刑に処されてきたんだから。
ジャンヌダルクが魔女認定され、火刑に処された話は有名である。
しかし、彼女の処刑を執行した数十年後には再審が行われて、彼女はそこで無罪となっている。
さらに数百年後、彼女は無罪どころか、教皇から「聖女」認定されている。
つまり、

「ごめ~ん、うっかり魔女だと思って、聖女を火あぶりにしちゃった。てへぺろ」

という意味でしょ?
判決は誤りだった。
かといって、裁いた側の誰かが責任をとることもなかったっぽいが・・。
腹立たしい話である。
そもそも、魔法を使う女性が実在したとは思えないし、「魔女」なんてのは単なる幻想だったはずなのに、当時欧州全体で数万人の女性が処刑されたのは紛れもない事実だという。
こんな狂気の沙汰を実行した組織が、今なお権威を保ててること自体不思議でならんよ。
一方、魔法を扱う男性(?)⇒錬金術師は火刑の対象にならなかったというのも意味不明だよね。

・・で、この「純潔のマリア」は、こんなワケの分からん中世の価値観と、それに対峙する魔女の苦悩を描いた物語なんだ。
というと、凄く暗い話だと誤解されるかもしれんが、そこは名匠・谷口監督の手腕というべきか、重さと軽さを絶妙のバランスで配合してくれてるので意外と大丈夫です。

苦境の中でも、常に表情豊かで活力あるマリアに救われます

で、本作の設定では、魔女は実在し、天使も実在するという世界観なんだわ。
基本、一般人は神(天使)を信仰し、神に祈りを捧げ、神に救いを求めるのが慣習。
だけど、現実の神のスタンスは「人間社会に関与しない」であって、戦争でたくさん人が死のうが、村が賊に襲われようが、疫病で村が壊滅しようが、そういうのに救いの手を差し伸べることは一切しない。
じゃ、人々は神に祈っても無意味じゃん?と思うところだが、まぁ、率直にいって無意味だろうね。
いうなれば、「生態系に手を出せば均衡が崩れるし、かえってよくない」という考え方だろう。
たとえ弱者が虐げられ、悪ばかりがはびこる社会になろうとも、それが人の世のことわり、弱肉強食ということなんだと思う。

大天使ミカエルは、人の世に対しては何もせず、ただ傍観している

一方、魔女のマリアは、そういう神のやり方とは真逆のスタンスで、病気で苦しむ人がいれば助けようとするし、村が賊に襲われたら助けにいくようなスタンス。
まぁ、目が届く範囲でしかないんだけどね。
これは彼女の性分、「人が苦しむのを見るのはイヤ」というシンプルな行動原理。
そして何より彼女は平和を愛し、戦争を嫌う性分。
この時代は英vs仏百年戦争の真っ只中だったらしく、彼女は戦地に赴いては魔法で戦闘を妨害し、両軍の兵を撤退させること(戦死者を出さないこと)を恒例としている。
よって、戦争で利権を得てる権力者たちからは大いに恨みを買ってることも否定できないわけで・・。
そんなこともあり、実は裏で権力者と教会が結託し、マリアの抹殺に向けて陰謀を巡らせてるし、また大天使もマリアの行為は「人の世のことわり」を乱すとして、これまたマリア抹殺を視野に入れている。

マリアを敵視する教会勢力

・・うん、マリアの生き方は非常に不器用だよな。
彼女がよかれと思ってやってることは、ことごとく自身を窮地に追いやっている。
だけど、彼女はめっちゃいい子である。
多分、村人の多くもそれは分かってるはず。
しかし、権威である教会の司祭の前では迂闊にそれを口にできないし、懇意にしてることがバレたら自分も異端認定されちゃうわけよ。
だから、今までお世話になったことをひた隠し、敢えて司祭の前でマリアに石を投げる。
マリアは、今まで救ってきた村人たちに石を投げられるという構図。
このへんは辛いねぇ・・。

教会に捕縛されたマリア

こういうのを現代の価値観で見れば、当然「理不尽すぎる!」と感じるだろう。
でも、中世という時代は本当にこんな感じだったらしいんだ。
まず、この時代の人間って、権力者以外には人権なんてないから。
中世における平民の扱いは「領地の一部」にすぎず、その生殺与奪権は全て領主が握ってるんだよ。
だから、たとえ領主が彼らを殺そうが、それは領地の樹を伐採したのと意味は同じで、法で咎められることもない。
だって領主の所有財産なんだし、その処分の裁量は領主のもの。
つまり、領地のオプションにすぎない彼らは自己の意思を持っちゃいかんし、物事を考えてもいけない。
ただ思考停止し、ただ権威に従順であればいい。

ところが、マリアだけは「個人」、自分の頭で考え、自分の意思で行動する者だったんだ。


そう、それこそが「異端」であり、彼女が「魔女」であることの大きな根拠である。
当然、教会は「個人」の存在を許さない。
司祭とされる偉い人ですら、「なぜ祈っても神は救ってくださらないのか」という問いに対して「神の御心は我々の与り知らぬところ」としか答えられない。
つまり教会の者ですら、どっちかというと思考停止してるわけよ。
そしてそんな思考停止した者が、異端審問官という立場で人々の生殺与奪権を握ってるという怖さ・・。

捕縛され、牢に入れられたマリアは司祭に対してこう言う。


アンタだって結局、教えがどうのって分かりもしない言葉を人に話してるだけじゃない?

本当に神が出てきたら、何もかも一発で片付くのに。

黙ったままの神を頼るより、地上は私たちで回した方がよっぽどマシだわ。

この世界で私たちが生きていくのに必要なことは

まず1人で立ち上がることよ!」

皮肉なことに、マリアの言ってることは後の時代の「フランス人権宣言」にも繋がるロジックである。
まぁ「人権宣言」より、何百年かタイミングが早すぎるんだけど・・。
しかし、マリアの発想は中世的な思考でなく近代的な合理的思考であって、この時代ではまだ許されないものだったんだろうね。

このままでは火刑が免れないと見た大天使の従者エゼキエルは、マリアに「許しを請うて、我々(神サイド)の仲間になればいい」と言うんだけど、マリアはそれを固辞するんだ。
その理由は、

「『私』が『私』でなくなってしまう、ということだから」


そう、マリアは終始ブレてない。
神サイドに立つということは、自分の頭で考え、自分の意思で行動することの否定である。
「全ては神の思し召しのまま」とし、ただ祈り、成り行きを受け入れるだけの人生。
既に「個人」を確立してるマリアからすると、そんなのはちゃんと生きてるとは言えないんだろう。
それなら、いっそ「個人」のまま火刑に処された方がマシだ、と。
このへんの9話~12話のラスト4話における問答は、マジで面白い!

思えば、このファッションも異端だろうなぁ・・。
女性が肌を露出するのはタブーという時代に、まさかのボンデージですわ。
めっちゃエロく見えるけど、でも実は彼女、処女なんです。
一応、彼女には

「処女を喪失すると魔法を使えなくなる」


という設定があり、その事実を知った司祭が傭兵にマリアをレイプする依頼をするわけよ。
鬼畜だねぇ・・。
こういうのも、神の名の下の正義なのか?

ホントね、後半からは見るのが辛くてしようがない。
ただ、こういう理不尽を礎にして、後のフランスに「自由、平等、博愛」という思想が生まれたわけさ。

終盤、私はマジで号泣。


正直いうと、最後はかなり意外な展開である。
まさか、牢での司祭との問答が伏線だったとは・・。
しかし全12話、過不足なく実にキレイにまとまってるし、これはかなりの秀作ですよ。
未見の方には、心からお薦めします。


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