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日本アニメ史上最高作画枚数は「かぐや姫」じゃないかも?
日本のアニメ映画で、最も作画枚数が多い作品は高畑勲監督の「かぐや姫の物語」だというのが定説である。
ただ、問題はその作画枚数で、巷では「50万枚」説と「24万枚」説のふたつが流布してるのさ。
どっちが正しいのか?
それは分からない。
ただ、どうも「50万枚」説の根拠は、映画公開の8ヶ月ほど前に出たという月刊誌掲載の<予定作画枚数>というものにあるっぽい。
じゃ、この<予定作画枚数>というのは、一体どんな計算から弾き出された数値なのか?
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ここから先は、あくまで私の想像ね。
まず我々が最初に理解しておくべきは、映画のフィルムとは<1秒24コマ>という構造になってるということ。
この24コマに24フレーム費やすのが「フルアニメーション」。
そして、8フレームだけ費やすのが「日本式リミテッドアニメーション」。
もうこれだけで、作画に3倍の差が出てるのよ。
じゃ、それを前提にして「かぐや姫」に話を戻すが、この作品は長さが137分。
色々差し引いて、実質130分ということにしようか。
つまり、
130分=7800秒=総コマ数 約18万
もし、これをフルアニメーションとして作ろうっていうんなら、計算上だと約18万コマを埋める画が必要ということになるよね。
「・・えっ、18万コマなら50万枚も画は必要ないじゃん?」
と思うでしょ?
いやいや、高畑さんという人は、1コマに何枚もの画を重ねる手法をとる人なのよ。
たとえば彼の代表作のひとつ、「となりの山田くん」を見て下さい。
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これ、フルアニメーション、リミテッドアニメーション、どっちに見える?ちょっと判断つきにくいよね。
だけどこれ、作画枚数は17万3035枚なんだ(時間は約100分)。
総コマ数は計算上、それに満たない約14万だし、明らかにこれはリミテッドじゃない。
ただ、フルというには何か違和感がある。
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ほら、上の画の顔のパーツの動きは明らかにリミテッドだし、一方で全体的な枠組みはフルに見える。
これって、ひとつの画の中にリミテッドとフルが混在してるということなんだ。
・・どゆこと?
いや、多分これってね、高畑さんは下地をフルで作り、その上にリミテッドっぽい素材を重ねてるんじゃない?
だけど、何でそんなメンドくさいことするの?と普通思うよね(笑)。
こんなふうにわざわざ手間かけて<リミテッド加工>するぐらいなら、最初からリミテッドアニメとして作れば無駄な労力を使わずに済んだだろうに、と。
そもそも、こんな手間かけるなら、周囲の背景がちゃんと描けてないのを先に何とかしろよ、と(笑)。
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私なりの解釈、これはファッションの<ダメージ加工>に近いニュアンスだと思う。
皆さんも、こういう経験ないだろうか?
ジーンズとか、新品を敢えてめっちゃ洗って色落ちさせる努力とか、シャツでもパリッと糊がきいた感じが何かちょっとイヤで、敢えて洗ってクタクタになったのをむしろ好んで着たりとか。
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多分、高畑さんのアニメ作りもその感覚に近く、何も分かってないような人たちの目には「ただのクタクタの古いシャツ」としか映らないんだが、実は本人的にはめっちゃお気に入りのクタクタだったりするのよ(笑)。
で、ごく一部のファッションの分かる人だけが「おぉ高畑さん、そのシャツのダメージいい感じだね」と気付いてくれるわけで、多分そんなのは宮崎駿ぐらいだと思うが、高畑さんはそれを聞いて満足そうに笑みを浮かべる、という感じ(笑)。
で、最初の作画50万枚の件については、これ1コマに画を3枚って計算だったんじゃないの?
18万コマ×3=必要作画54万
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でも計画は計画として、実際に50万は無理だったんじゃないだろうか。
だって、「となりの山田くん」の約3倍だよ?
その時より3倍のアニメーターを準備できてたならまだしも、そんなことは多分ないでしょ。
おそらく、現実の着地は「24万枚」だった、というのが私の読み(特に自信はないけど)。
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じゃ、仮に「かぐや姫」が作画24万枚だったとして、それは「日本アニメ史歴代最高の作画枚数」?
いや、多分違うと思う。
私の知る限り、作画枚数25万枚というアニメが存在するから
(信憑性は定かでないけど)
それが、これです↓↓
「トランスフォーマー ザ・ムービー」
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これ、見たことある人なんて、ほとんどいないんじゃない?
だって日本では劇場公開されてないし、多分だがテレビでも放送されてないと思うし。
じゃ、日本のアニメじゃないじゃん?と思うだろうが、でも作画は全部日本の東映アニメーションなんですよ。
ただし、監督、脚本、絵コンテは全部アメリカで、なぜか一番しんどい作画のところだけは全部日本に丸投げという、どう捉えていいのかも難しい作品である。
制作費は、何と40億円!
⇒でも東映はそれを使い切れずに、結局20億ほどアメリカに返却したらしい(笑)
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めっちゃレアな「ロボットアニメなのにフルアニメーション」という伝説の作品なので、興味がある人はYouTubeを検索してみて下さい。
日本語吹替版があるよ。
フルアニメゆえ、<ヌルヌルと動くロボット>だけど(笑)。
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で、作画は確かにめっちゃイイ!
作画25万枚というのも、あながち嘘ではないっぽい。
ただね、アメリカ人の感覚が私にはよく分からなくて、普通こういう変身系の作品なら、変身(トランスフォーム)シーンを見せ場にするものじゃないの?
なぜか分からんが、この作品にはそれが全くないのよ。
結構頻繁にトランスフォームはするものの、それに要する時間はコンマ5秒ぐらいで、全くそれを「魅せよう」という意思がないんだ。
日本のアニメなら、そこにバンクを使って30秒ぐらいの尺は確保するよね?あぁ~、これが日米の文化の差かぁ~、とつくづく思ったわ。
<バンク>
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見せ場となる場面にて、同一の映像をお約束で毎回使い回す手法
このバンクシステム考案者は、<日本式リミテッドアニメ>生みの親こと、手塚治虫先生らしいね。
基本、作画枚数を少なくするために考案されたシステムである。
ただ考案は虫プロ(手塚先生)ながらも、これを世間に広く普及させたのはむしろ東映なんだ。
たとえば上の画の「セーラームーン」のように、東映は変身シーンのバンクをひとつの文化とするようになっていく。
「おジャ魔女どれみ」「デジモン」「プリキュア」などがいい例だね。
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こうしてバンクがひとつの文化となった背景には
1984年、東映がTVアニメ1話あたりの作画枚数の上限を3500枚と設定したことに始まる。
これ、意外と知らない人が多いと思う。
やがてサンライズやタツノコプロなども、同じく3500枚を上限に。
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この上限は確か10年ほど前に解除されたんだけど、少なくとも、1984年以降の四半世紀は3500枚以下がルールだったのも事実。
だからこそ、この四半世紀でバンクがめちゃくちゃ使われたのよ。
ただ、そこでひとつ面白い現象が起きたんだ。
前述「セーラームーン」出身の幾原邦彦が、「少女革命ウテナ」でバンクを<芸術の域>に昇華したわけね。
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幾原さんは、この「ウテナ」以降も「輪るピングドラム」や「ユリ熊嵐」や「さらざんまい」で芸術的バンクを連発。
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・・いや、厳密にいうと幾原さんのはバンクじゃないんだ。
バンクに見えるけど、よく見たら映像の使い回しじゃなく、いちいち新たな素材を作ってるし。
ぶっちゃけ作画枚数の削減どころか、これの為に、むしろ大量の作画枚数を費やしてるというバンクの本末転倒(笑)
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・・これって、精神が高畑勲に似てると思わない?
高畑さんは「山田くん」や「かぐや姫」において、フルアニメでありつつもリミテッドアニメ風の加工など、敢えてダメージ処理の為に大量の作画枚数を費やしてきたわけで、そして幾原さんもまた同様、バンクの為にこそ大量の作画枚数を費やすという、これまた<矛盾>のある作家性を発揮したわけさ。
天才って、こういうアマノジャクな体質なのかねぇ・・。
そして興味深いのは、幾原さんが<作画枚数上限>ができて以降に東映入社した人材だということ。
つまり、「作画枚数を増やしちゃいけません」という文化で育った人なのさ。
いや、だからこそ、「一番多く露出するバンクにこそ、作画枚数をさくべきでは?」という発想に至ったんだろうけど。
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そして最近、「あぁ、なんか幾原さんのスタンスに似てるなぁ」と感じたのが、中村健治監督である。
彼もまた東映の出身で、しかも<作画枚数上限>設定中の入社組。
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皆さんは、中村監督の劇場版「モノノ怪 唐傘」見た?
めっちゃイイよ!
これもバンクってのとは少し違うが、でも<お約束>のシーンにはめっちゃ作画枚数を費やすタイプなんだわ。
ただ、その一方で背景のモブが全然動いてなかったり、または顔すら描いてなかったり、そのへんのメリハリがやたらきいてるんだ。
こういう省略は、幾原さん(あるいは高畑さんも?)の手法と似てるね。
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多分これって、いうなれば作画節約設定から生まれた変形文化だと思うし、いうなれば鎖国政策実施後の江戸文化、遣唐使派遣廃止後の平安文化、一種のガラパゴス文化だと思う。
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日本って、何か規制や負荷を加えられた時ほど、逆に捻じれて独特の新しい何かを生み出してきたと思わない?
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古くは出崎統の「出崎演出」もそうなんだけど、私は1984年以降の東映(の出身アニメ作家)にもそのへんを強く感じるんだよね。
自由を奪われた時、逆に何かが生まれる。
このへん、日本人って面白い民族性だよなぁ、とつくづく思う。
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