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アニメーションにおける<演技>とは?
今回は、アニメーションにおける「演技」について書いてみたいと思う。
演技、実写の場合だとそれは役者が担う領域であり、アニメの場合だとそれはアニメーターが担う領域。
ただ、両者は全くの同一というわけでもないんだよね。
なぜなら、アニメの場合は漫画に近い表現をする作品が数多くあり、それらは<演技>ではない<記号>で心情表現することも多々あるんだから。
<記号的心情表現>
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こういうのって、演技の範疇じゃないよね。
あくまで記号としての表現である。
じゃ、ちゃんと演技として成立しているのはどんなのかというと、たとえばこういったところだろう↓↓
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結局は、こういうのはリアル系に軸足を置いた上での画力が問われるんだと思うなぁ・・。
じゃ、もしも
うまい役者vsうまいアニメーター
という両者が<演技力勝負>をすれば一体どちらが勝つのかって、さすがにそれは分からん。
多分だけど、ドローぐらいのところで落ち着くんじゃないの?
しかし、ここでいうアニメーターというのは大体が「手描き」の領域での話なんだよね。
でも世界の趨勢を見る限り、だんだんと主流は3DCGの方に寄っていきつつある。
で、これがまた恐ろしいことに、3DCGというのもかなり演技力が向上してきてるんだよ。
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上の画は宮崎吾朗監督作「アーヤと魔女」で、これがなかなかキャラの表情が豊かに表現できていた。
ストーリーそのものとしてはさして特筆すべき点もない作品だけど、演技という点に限っていえば、かなり面白い作品だったといえるんじゃないだろうか?
で、吾朗さんいわく、この作品を作るに当たって特に参考にした作品がこれらしいのよ↓↓
「KUBO 二本の弦の秘密」(2016年)
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これ、そこそこ話題作だったから見た人も多いだろう。
だけどさ、興味深いと思わない?
これから3DCGアニメを作ろうという吾朗さんが、制作の参考にしたのが3DCGアニメじゃなく、むしろそれより古い方、ストップモーションアニメの方だったなんて・・。
これって、CGが生まれるよりもずっと前からあったアニメの作り方だよね?
しかもパペットを人の手で少しずつ動かして、それをひとつひとつコマ撮りしていくという、何とも根気強さを必要とする地道な制作スタイルなのさ。
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3DCGの興隆により、こういうのは廃れていくんだろうなぁと思ってたが、意外とそういうものでもないみたい。
事実、この「KUBO」を作ったライカはストップモーション専門の制作会社として近年かなり人気があるらしいし。
「ココラインとボタンの魔女」(2009年)
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「ボックストロール」(2014年)
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で、これらライカ作品を幾つか見てみたけど、確かにどれも面白いね。
それはストーリーや設定が面白いというのは確かにあるんだけど、それ以上にビビるのがキャラの表情の豊かさである。
昔の人形劇的なものとは一線を画すクオリティだわ。
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特に「KUBO」、本作での顔の表情筋の繊細なモーションは、もはやアニメの常識を遥かに超えた水準だと思う。
こんなの、どう考えても人形劇としては絶対にあり得ない<演技>なんですけど?
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・・いやいや、吾朗さんが「KUBO」に感化されたというのも十分に納得だわ。
なお、吾朗さんは「アーヤと魔女」の体のモーションについても「3DCG的ではなくストップモーション的に」というのを心がけていたという。
そうか。
こういう話を聞いただけでも、パペットアニメーションが「過去の遺物」というものじゃないことを十分にご理解いただけるだろう。
正直、私もこの分野についての知識はほぼないんだが、どうも話を聞く限りだと、いまどきのストップモーションは3Dプリンターを駆使して顔のパーツを大量に作ってるらしく、そのパーツを様々に組み合わせることでパペットの表情を作ってるらしい。
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ちなみに主人公の少年KUBOは、顔パーツの組み合わせのバリエーションがなんと4800万通りもあったという。
つまりそれって、主人公には4800万通りの表情があるってこと?
多分3DCGでも、さすがにそこまでのバリエーションは準備していないだろう。
いまどきのパペットアニメーション、おそるべしだわ・・。
ただ、私はこの「KUBO」を見てて、こういうタイプとはむしろ真逆というべきストップモーションアニメ作家のことを少し思い出したのよ。
それが、この人のことなんだけどね↓↓
川本喜八郎(1925年~2010年)
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そう、日本のストップモーションアニメの第一人者として著名な川本喜八郎さんである。
あまりこういうタイプのアニメ、皆さん普段ご覧にならないかもしれんが、まぁ私もその例外じゃないですね。
ただ、個人的には意外と嫌いじゃないんです。
こういう、圧倒的な<和>のテイスト。
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未見の方は、川本さんのアニメがどういうニュアンスか分からない人も多いと思うので、実際に短編をひとつ見てもらった方が話は早いかと。
じゃ、まず最初に見ていただくのは「道成寺」(制作1976年)で、この作品はアヌシー国際アニメーション映画祭で2冠をとったという名作短編です↓↓
・・なんか、めっちゃ凄くね?
ここで興味深いのは、川本さんのアニメは人物の表情が終始ほぼ変わらないということだね。
それなのに、どこかエモーショナルなのは一体なぜ?
このオンナ↓↓の情念たるや、その表情自体はほとんど終始変わらないのに、でも後半からはエゲツなく鬼気迫るものがあった・・。
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多分、こういうのは日本に古来からある文楽/人形浄瑠璃を叩き台にしたものなんだろう。
そういう類いのものは、伝統的にパペットの表情のバリエーションはとても乏しい。
そのくせ、感情表現は確かにそこに存在する。
その身のこなしだけで、何か伝わってくるものがあるもんなぁ。
いや、この「道成寺」は1976年の作品なので、単にその当時のテクノロジーではパペットの表情にバリエーションつけられるだけのアニメーション技術がなかっただけの話では?と思う人も多いだろう。
じゃ、そこを確認する為、今度は川本さんの最晩年の作品(2006年)を見ていただきましょうか↓↓
「死者の書」(2006年)
はい、ここでもパペットの表情は終始、変わらないんですよ(笑)
それでも相変わらず、エモさはしっかりあるんだけどね。
そこはcv宮沢りえ効果、ナレーション岸田今日子効果も否定できないが、やっぱり女の秘めたる情念みたいなものがひしひしと伝わってくる。
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多分、これはアニメーションの技術的な問題などではなく、川本さんとして意図し、敢えて表情バリエーションを作らなかった、ということだと思う。
敢えて、登場人物は心情を露わにしない、と。
それこそが<和>の演技論
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だからね、川本さんのアニメって基本的にめっちゃ難しいんですよ。
一回見ただけでは理解が及ばない。
私、「死者の書」なんて3回リピートして見たからね。
その上でも、いまだ理解が及んでないんだけど・・(笑)。
いうなれば、表現をしない表現論
これらと同類を挙げるなら、
・和歌
・俳句
・川柳
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といったところだろう。
5.7.5などの縛りを作り、限られたごく僅かな語彙で世界観を表現する。
こういうのは、余白を読めるだけの高度な知性が求められる。
さらにいうと、これもまた<表現をしない表現>だよね↓↓
千利休の一輪挿し
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千利休は色ですら表現が過多であることを嫌って、茶碗は常に黒を愛好したという。
千利休の黒茶碗
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思えば、日本は建築様式も簡素だし、かつて天皇陛下は国賓との対面をこのような部屋で行ったらしいよ↓↓
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おぉ~、究極のミニマリズム!
どうも日本の美意識の本質は、断捨離に近いテイストがあるようだ。
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となると、「KUBO」のように4800万通りの表情バリエーションを作ることとか、むしろ「和の表現としては少し違いますよ」といったところなのかもしれない。
「KUBO」を作ったのは、アメリカ人である。
彼らは、実に真っ当に日本文化リスペクトで和の世界観を表現してくれたと思うし、そこは本当に嬉しい。
・・ただ、心なしか表現が過多すぎると思う。
おそらく足し算/足し算がアメリカ流なんだろうが、どっちかというと日本の美学は、むしろ引き算/引き算である。
そして、そこをマジで意識してやってるのが押井守だな。
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意外と押井さんのアニメは、川本さんのアニメと通じるものがある。
常に余白を読ませようとするところとかね。
ちなみに、川本さんは「大藤信郎賞」を5~6回はとってるという驚異の人である。
海外での評価も高く、本来もっと評価されるべき人だったんだが、知名度はいまだ高くないですよね。
幸い、彼の作品はそのほとんどがYouTubeで無料視聴できるので、興味ある人は是非検索してみてください。
・・あ、あと「KUBO」はホントにいいっすよ。
面白いので、未見の方は是非ご覧になってみてください。
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