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「幻魔大戦」のワケ分からなさが愛しい
皆さんは、映画「幻魔大戦」を見たことある?
超有名作ゆえ、おそらくほとんどの人が一度ぐらいは見たことあると思う。
これはアニメ史的にも重要な位置づけの一作とされており、というのも
①記念すべき角川アニメ第1弾作品
②大友克洋のアニメデビュー作品
③神アニメーターたちの夢の競演的作品
という3点が大きかったと思う。
特に③については、
・なかむらたかし
・金田伊功
・川尻善昭
・森本晃司
・梅津泰臣
・大橋学
といった豪華メンバーが揃ってて、ある程度目が肥えた我々が今見ても驚く水準の作画クオリティである。
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ただこの作品、一方でこうも評されているんだ。
「幻魔大戦」は<アニメーション>として凄いが、<物語>としては全くワケ分からん!
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いやね、そこは私も正直同意見。
この物語のワケ分からなさのモトになってるのは、やはりラスボス「幻魔」の存在だろう。
この「幻魔」が終始一貫して抽象的な邪悪の概念であり、結局は具体的に何なのかがさっぱり分からない・・。
おそらく、これはこの作品のバックボーンになっている「ノストラダムスの大予言」の中の「恐怖の大王」という概念なんだろうし、それ自体、具体性のないふわっとしたものである以上、あまりここを深くツッコんだところでしようがないけど・・。
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この作品が制作された1983年時点で、予言の「1999年7の月」はまだ未来の話。
でも令和を生きる我々にとって「1999年7の月」は過去であり、つまり予言はただの嘘っぱちだったことを我々はもう知ってるわけよ。
・・ただ、それを踏まえた上で「1999年」の3年後、今度はテレビアニメ版「幻魔大戦」が制作されていたことを皆さんはご存じですか?
「幻魔大戦 神話前夜の章」(2002年)
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もともとの「幻魔大戦」は平井和正+石ノ森章太郎の共作で開始されたものだが、どうやらその後は「平井版」と「石ノ森版」に分岐して続編が作られたらしく、このアニメはあくまで「石ノ森版」の方ね。
これは映画版の続編というか、いや、それよりずっと先の未来の話であり、なんていったらいいのかな、イメージは手塚治虫先生の「火の鳥」における「未来篇」を想像してもらえばいいのかも。
石ノ森先生は、これを壮大なサーガとして構想してたんだろう。
ちなみに、石ノ森先生が亡くなったのは1998年である。
ひょっとしたら、先生は最後の最後まで「1999年7の月、恐怖の大王降臨」を信じてたかも・・(笑)。
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正直いうと、この「神話前夜の章」は一般的アニメファンの間ではすこぶる評判がよくない。
内容がワケ分からん、と。
しかし、私は敢えてこう言いたい。
「今さら何を言っとるんや!
石ノ森作品がワケ分からんのは今に始まった話じゃないだろ!」
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よく考えたら、石ノ森先生って凄いよね。
「サイボーグ009」「仮面ライダー」のようなヒーロー系、「佐武と市捕物控」のような時代劇系、あるいは「HOTEL」のようなヒューマンドラマ系、変わったところでは「マンガ日本経済入門」のようなビジネス系に至るまでやってるし、どんだけ守備範囲が広い人なのよ。
この守備範囲の広さは、まさに手塚先生に匹敵するといっていいだろう。
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でね、私は先日のこと、たまたま「秘密戦隊ゴレンジャー」の第1話という回を見たんだわ。
これが結構、衝撃の内容だったよ~!
是非、皆さんにも見てもらいたい↓↓
大体誰でも子供の頃にこのての「戦隊ヒーロー物」を見てると思うが、この「ゴレンジャー」第1話(1975年)がそれら全ての原点かと。
で、この「ゴレンジャー」で石ノ森先生の考案した設定に私は驚いたんだよ。
まず、私はこのての話に出てくる悪役というのは「犯罪者」という先入観があったんだが、どうやらそうではないっぽい。
というのも、この第1話ではいきなり国連防衛機構vs黒十字軍という抗争で、日本の防衛支部5拠点まるごと全滅するところから物語がスタートするんだから・・。
つまり
黒十字軍=勝者、支配者、体制側
ゴレンジャー=敗者、反体制派、レジスタンス
という構図になってて、ぶっちゃけ、黒十字軍は「犯罪者」なんて生易しい存在じゃないんだよ。
そしてゴレンジャーもまた、体制側の警察/警備という立場とはいえないんだ。
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そう、子供の頃はよく考えもせず
「悪役はヒーローにすぐ倒される」⇒「弱者」
と思い込んでたものの、でもよ~く見るとこれ、ドラマの構造としては
悪役=強者
ヒーロー=弱者
である。
で、この構造は「サイボーグ009」も同じ(009らサイボーグは弱者の立場、ブラックゴーストが強者)で、そこは「幻魔大戦」も全く同じ構造だったと思う。
というか、これは石ノ森先生の一貫した<悪>の捉え方、ともいえるんじゃないだろうか?
「このセカイはごく一部の権力者に牛耳られており、その権力者とは<善>でなくて<悪>である」
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そう、我々はつい自身の感覚から<悪=どこかに潜伏しているテロリスト>と解釈してしまいがちだが、石ノ森先生の感覚はむしろその逆。
明らかに<悪=体制側の黒幕>なんだよ。
「009」ブラックゴーストしかり、「仮面ライダー」のショッカーしかり、「ゴレンジャー」黒十字軍しかり。
で、この構図を究極に強調した思想性の強い作品が、前述の「幻魔大戦 神話前夜の章」。
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これって、ある意味では石ノ森思想の濃縮還元100%ジュースみたいな作品なんだわ。
まぁ、先生も1938年生まれだし、特に立ち位置が左翼だったか知らないけど世代としては「支配者層憎し!」という考え方もあったんじゃないかな?
その思想は、本作に非常に色濃く出ている。
聞けば、石ノ森先生は永井豪先生と懇意にしてたらしいし、このおふたりはどこか思想性が似てるんだよね。
そして本作は、石ノ森作品の中で最も永井先生の作風に近い部類だと思う。
残酷描写、鬱展開、そして過激なエロ展開・・。
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石ノ森作品では「009ノ1」も結構あれだったが、エログロでいうと、この「神話前夜の章」が石ノ森史上NO1では?
よって、「デビルマン」ファンの方々は、是非この「神話前夜の章」をお見逃しなく!
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いやね、本作はホント第1話から壮絶な鬱展開なのよ・・。
遠い遠い未来の話のようなんだが、そこでは「幻魔」が地球を支配してるという世界観。
そう、映画「幻魔大戦」の中では幻魔と人間の死闘が描かれてたけど、結局その戦争の最終的なオチは幻魔の勝利だった、という意味だよね?
そこでは猿が人間を奴隷として虐げ、搾取し、人間は文明を失って原始人のような生活を営んでいるという状態。
これ、「猿の惑星」のオマージュ?
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で、猿の上には魔族がいて、その魔族の頂点に幻魔が君臨してるわけよ。
また、この幻魔というのはタチが悪く、人間の女子を連行してきては性交し、自らの子を孕ませるというのを延々とやってるのさ。
まぁ、これも「とある計画」の為というのが後々判明するわけだが、それはともかくとして、第1話から
ヒロイン、さらわれる⇒ヒロイン、幻魔に犯される⇒ヒロイン、妊娠/出産
という怒涛の展開であり、こうして生まれた双子の男児というのがこの物語の主人公ということになる。
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つまり、この双子は人間/魔族のハーフということね。
「デビルマン」でいう不動明的ポジションである。
で、彼らは「人間とは?」「魔族とは?」という真理をずっと探求していく数奇な人生を辿ることになるんだ。
だから、めっちゃ哲学的だし、めっちゃ宗教的な内容になっている。
もっと丁寧に作れば「デビルマン」と並ぶほどの不朽の名作になっただろうに、ちょっと惜しい作品だよなぁ~。
なんかね、色々と超展開すぎるのよ。
途中でタイムリープとかしちゃうし、一方で主人公が活躍する前に呆気なく世界が滅んじゃうし、とにかく「??」という超展開の連続である。
多分、原作漫画がそうなってるんだろうけど。
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でもこの感じ、確か「009」の時にもあったと思う。
それは、石ノ森先生が「009」の完結編として構想してた「GOD'S WAR」編というやつ。
結局、この章は未完のままで終わったんだけど、ここで009の敵となるのはブラックゴーストではなく、神ともいえる存在。
これ、私は「幻魔大戦」のリブートだったんじゃないか、と思う。
というか、「009」ってもともと「幻魔大戦」とよく似てるんだよね。
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よく石ノ森先生の作家性は「勧善懲悪」で捉えられがちだけど(ヒーロー物が多いから)、実際の先生はそれほどシンプルな思想じゃなかったと思うのよ。
私が見た感じ、石ノ森作品における【悪⇔正義】は次のようなイメージである。
<悪>=支配するチカラ、強制された秩序
<正義>=解放を目指す抵抗、既存秩序の破壊
実際、石ノ森先生は「神話前夜の章」の中でかなり複雑な悪⇔正義の表現をしてるんだよ。
たとえば、主人公が遂に幻魔を打倒した後のシーン。
この時、主人公が「さぁ、これからみんな自由だ」と民衆に言ったところ、それを聞いて人々はただ困惑し、なぜか誰も喜ばないという不思議な描写があるのね。
・・そう、実は人類にとって、もはや幻魔こそが<神>といえる存在だったのかもしれん。
チカラで秩序をもたらしてくれる存在こそが<神>。
というか、そういう<神>とは必ずしも善の立場とは限らんのよ。
そこは、確か「デビルマン」でもそうだったでしょ?
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なるほど、ある意味「神話前夜の章」は石ノ森思想の総決算的作品なのかもしれんなぁ・・
未見の方は、是非ご覧になってみてほしい。
ただし、見て面白いかの保証まではしないけどね(笑)。
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