「ブルーピリオド」アニメと実写を比較してみた
今回は、「ブルーピリオド」について書いてみたいと思う。
これは、原作が月刊アフタヌーンに連載中の人気漫画で、2023年にアニメ化、そして今年2024年に実写映画化されている。
「美術」をテーマにした青春モノで、最近はこういうクリエイティブな活動をネタにしたヒット作が多いよねぇ。
美術モノでは、名作「ハチミツとクローバー」を思い出すところだが、あれは物語のウェイトがかなりLOVEに寄ってたのに対し、「ブルーピリオド」の方はLOVE要素がほぼ皆無に近く、ひたすら美術ONLYというそのストイックな作風を私は気に入ってるんだけど。
多分、これの原作者は美大出身なんだろう。
でなきゃ、ここまでリアルに美大受験を描けないって。
・・でさ、ぶっちゃけいうと、
この作品はここ数年で最も泣けた作品のひとつである。
いやホント、登場人物の誰も死んだりしないのに、私はこのアニメ、なぜかほぼ全話泣きっぱなしだったんだ。
基本、主人公のモノローグでず~っと綴られていく1人称系の物語なんだが、その苦悩っぷりが何とも文学的でいい。
高2という遅いタイミングで美術に目覚めた主人公が、東京芸大現役合格を目指してイチから美術を勉強していくという超クソ真面目なストーリーだった。
おそらく作者の実体験が盛り込まれてて、そのへんがとにかく生々しい。
で、この<美術>というネタ、多分、このアニメを作ってるアニメーターの方々にも響くものがあったんじゃないかな?
たとえば、この本編の第4話で<いい画の条件>という話が出てくる。
<いい画の条件>とは、どれも例外なく「構図がいい」。
そしてそれは、次の4条件を満たしてることでもあるという。
①大きな流れがある
②テーマに適している
③主役に目がいく
④四隅まで目がいく
で、主人公の八虎はシロウトだからそれまで<感性>で描いてたんだけど、いい画を描ける時もあれば、ダメな時もある。
いい画を描けた時は、たまたま上の4条件にフィットしてたわけさ。
案外、そこはロジックに裏打ちされてたということ。
で、こういうのも美術をやってる人たちからしたら基礎中の基礎なんだろうね。
指導する先生はあらゆるロジックを全部分かってるから、ダメな画のどこがダメかをきちんと説明できるわけよ。
我々シロウトには、それができない。
いや、我々はそっちの世界の人間じゃないんだし、別にそういう知識を得る必要もないんだが。
とはいえ、それこそ<感性>の部分で<いい画>は何となく理解できちゃうんだよね。
たとえば、<いいアニメ>はほぼ例外なく「構図がいい」。
なぜ我々が宮崎駿のアニメにあれほど惹かれるのかって、それは宮崎さんが<いい画>、すなわち<構図>に命懸けてる人だからさ。
我々はロジックを知らずとも、その良さをほぼ無意識的に感じ取ってるんだろう。
多分、アニメーターの方々というのは専門家だし、こういうことはひと通り全部わかってるはず。
とはいってもあまりに基礎すぎて、逆に普段の仕事上では忘れちゃうこともあるんじゃない?
でさ、この「ブルーピリオド」の制作スタッフも、作中で画の基本的なこととかを説かれて、思わず皆、襟を正したりなんかして・・(笑)。
そもそも、こういうこと説いてるアニメの<構図>がめちゃくちゃだと何の説得力なくなるし、みんな緊張したんじゃないかな?
ちなみに、この作品の総監督は「かみちゅ」「R.O.D」シリーズでお馴染みの舛成孝二さんで、私はこの人の画を信頼してるけど。
で、実をいうと、このアニメがあまりにも良かったもんで、私は敢えて実写映画版の方も見てみたのよ。
つい最近のことなんだけど。
まず見てみようと思ったキッカケが、脚本の吉田玲子さんの存在。
吉田さんはアニメ「ブルーピリオド」の脚本を手掛けてたんだが、実はこの実写版の脚本も吉田さんなんだ。
へぇ、同じ人がやるんだ~と思って。
でもさ、よく考えたらTVアニメと映画を比較するのはフェアじゃないよね。
かたやTVアニメはトータル260分程度、かたや映画は110分程度。
映画の尺はTVアニメの半分以下だし、そんなの表現として映画が不利なのは最初から分かり切ってることだし・・。
だけどこの実写映画、予想より全然よかったよ。
想像してたより、遥かに役者さんたちの演技が巧かったし。
・・だけどね、アニメではあれほど泣けたというのに、なぜか実写では全然泣けなかったのよ。
それは、ストーリーを全部分かっちゃってるから?
いや、違うさ。
アニメの方は、ちゃんと2周目の時も泣けたんだから。
・・いや、私はこういうので安易に【アニメ>実写】と結論付けたくはないのよ。
だって、実写の役者の皆さんたちはマジめっちゃ良かったし。
というか、こういうのは良し悪しということじゃなく、もっと構造上の問題があるんじゃないかな、と。
最も分かりやすいところでは、主要キャラ、女装子の龍二。
皆さんは、どっちがかわいいと思う?
・・やっぱ、アニメ版だよね。
というか、アニメ版は卑怯だよ。
だって、cvが花守ゆみりというオンナノコだもん。
それに対して、実写の方は高橋文哉というオトコがオンナ口調なんだけど、その声質はしょせんオトコでしかない。
ビジュアルは結構頑張ったが、それでもアニメの画の魅力には及んでない。
じゃ、少し着眼点を変えて「どっちがリアルか?」という見方をしてみようか。
その場合、ホントのオトコが女装子を演じてる実写版でしょ。
というか、アニメ版はオンナノコが演じてる時点で全くリアルじゃないし。
つまりアニメという世界観って、「リアルじゃないこと」も視聴者が素直に受け入れてくれる特殊な環境なのよ。
・アニメ⇒たとえリアルじゃなくても許される世界(2次元)
・実写⇒リアルの延長線上でしか表現できない世界(3次元)
この差というもの、やはり一番大きいと思う。
私は「表現媒体として、アニメはチートだな・・」と今さらながら再認識した。
あと実写でも、上の画のような心象表現を特撮/CGを使うことで挑戦してたね。
多分CGは、今後ますます実写映画でも重用されていくことになりそう。
日本ではまだそうなってはないけど、ハリウッドでは既に<アニメ⇔実写>の境界線が曖昧になりつつある。
上の画は、スピルバーグ監督作品として知られる「タンタンの冒険」。
見た人も多いでしょ?
これは実写に見えるけど、映画祭では常に「アニメ部門」の方にエントリーされていた。
まぁ、これはタンタンの相棒の犬がめっちゃ演技しなくちゃならんし、その必要性から3DCGアニメを組み込んだということだろう。
ただ、「アバター」なんかはちゃんと「実写部門」にエントリーされてたし(あれってほぼアニメでは?)、業界がどういう基準でそこを分けてるのかは私にもよく分からない。
思えば、3DCGはもう「実写に見えるアニメ」を実現してるし、そりゃ今後もどんどん実写に取り入れられていくことになるわな。
そして、その一定基準を超えた時、「基本は実写だけどエントリーはアニメ部門」という妙な形のアニメが今後増えていくのかも・・?
・・さて、一旦話を戻そう。
上の画は、主人公に大きな影響を与えた美術部顧問、佐伯先生と実写でそれを演じた薬師丸ひろ子さんである。
私、アニメ版でこの佐伯先生が好きでね~。
この人、いちいち名言が多いんですよ。
「『好きなことは趣味でいい』
これは大人の発想だと思いますよ。
好きなことに人生の一番大きなウェイトを置くのって、
普通のことじゃないでしょうか?」
「でも好きなことをする努力家ってね
最強なんですよ!」
このへんのセリフが、ホント染みる。
で、実写版でも当然、これらのセリフがあったんですよ。
・・ただ、アニメの時よりグサッとこない。
薬師丸さんがヘタだった?
いや、そんなことはない。
彼女がヘタだというなら、多分日本中の女優がドヘタということになるし。
じゃ、cvの平野文が薬師丸さんより巧かった、ということ?
う~む、そういうのとは少し違うっちゃ。
その平野文でも、多分<漫画>の方にはどうしても勝てないんだから・・。
ようはね、これ
【抽象⇔具体】
という座標の問題だと思う。
最も「抽象」の座標に近いのが<漫画>で、逆に最も「具体」の座標に近いのが<薬師丸ひろ子>。
<アニメ(cv平野文)>は、ちょうどその中間といったところか。
そして視聴者というものは、より「抽象」に近いものほど高く評価するものである。
なぜなら、そうである方が自身の脳内で最適解となる「具体」を生み出せるから(ようするに、自分好みの「具体」にプロデュースできる)。
結局、そういうことなんだよね。
なぜ、アニメファンは実写をディスるのか?
なぜ、オタクは【2次元>3次元】という価値観を持つのか?
それらは全て、
定まった「具体」を見るのが辛い
「抽象」の中で自分好みにプロデュースされたものだけを見ていたい
という深層心理からきてるのさ。
つまり、薬師丸さんが悪かったわけじゃない。
薬師丸さんでダメだというなら、多分あとは誰がやっても似たようなもんである。
世界一の名女優・メリルストリープでも無理かと。
いや、メリルストリープならひょっとして・・?
我々がどうしても役者を【日本人<外国人】と評価してしまうのは、外国人の方が日本人より「抽象」の座標に近い(現実から遠い存在)からだと思うのよ。
しかし、そのメリルストリープでも、結局アニメには勝てないんだろう。
彼女も実体が「具体」の人間である以上、「抽象」には対抗しようがないんだよね。