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オンナノコを健やかに成長させてくれるアニメ

オトコノコのサブカル文化が「ガンダム」あたりを起源とするのがひとつの定説として、じゃオンナノコは何が起源になってると思う?
私は、「美少女戦士セーラームーン」だと思う。
ここから全てが始まったんじゃないか、と。
ちなみに、「セーラームーン」には代表的な演出家が3人いる。

・佐藤順一
・幾原邦彦
・五十嵐卓哉

ある程度アニメを知ってる人ならお分かりだと思うが、この3人は3人ともかなりのビッグネームである。

「美少女戦士セーラームーン」シリーズ(1992年~)

<3人がセーラームーン以降に手掛けた作品>

【佐藤順一】
「おジャ魔女どれみ」「カレイドスター」「ARIA」「ケロロ軍曹」
⇒毒のない、優しい作風

【幾原邦彦】
「少女革命ウテナ」「輪るピングドラム」「ユリ熊嵐」「さらざんまい」
⇒毒のある、尖った作風

【五十嵐卓哉】
「おジャ魔女どれみ」「桜蘭高校ホスト部」「文豪ストレイドッグス」
⇒腐女子好みのイケメン路線

なんていうかさ、佐藤さんと幾原さんがひとつの作品の中で共存してたのが今となっては信じられない奇跡だよね。
ある意味、両者の個性は全くの真逆のようにも思えるから。

「セーラームーン」の中でも、幾原演出は一目でそれを理解できる

ただ、「セーラームーン」はあくまで原作漫画が存在するもので、どれほど演出家の個性がバラけたところで一定の縛りはあるんだよ。
問題は、「セーラームーン」以降である。
ちなみに、幾原さんは東映から独立し、ビーパパスを立ち上げて「少女革命ウテナ」というオリジナル作品を制作。
一方、東映に残った佐藤さんと五十嵐さんは、オリジナル企画「おジャ魔女どれみ」を制作。
「ウテナ」と「どれみ」。
ここで、きっちりと方向性の違いが明確になったんだね。
作家性の濃さでいうと、やはり幾原さんである。
彼は既に学生時代から周囲とは違っていたタイプのようで、舞台演劇に傾倒する類いの芸術家肌だったという。
一方、佐藤さんはどういうタイプか?
この人はね、普通にめっちゃいい人なんですよ。
作風そのまま、人格がまるごと作品だといってもいい。
上記の流れを見て、まるで幾原さんと佐藤さんが喧嘩別れで訣別したような誤解をする人もいるだろうが、それはとんでもない。
そもそも、幾原さんという才能を見出して抜擢したのは他ならぬ佐藤さんだし、「幾原という凄いのがいる」とメディアに売り込んでたのも佐藤さんである。
その後、彼は「ウテナ」の絵コンテ描くなどのお手伝いまでしてるし。

左から、佐藤順一氏、幾原邦彦氏、五十嵐卓哉氏

じゃ、五十嵐卓哉さんがどういう人かというと、彼は「佐藤順一の弟子」を自称しつつ、その一方で東映退社後は常に幾原さんの半身ともいうべき脚本家・榎戸洋司(彼は幾原さんと高校~大学ずっと同級生)とコンビを組んでるので、見方によっては幾原ファミリーの一員と見ることもできる。
彼は「桜蘭高校ホスト部」「STARDRIVER」「文豪ストレイドッグス」など徹底して腐女子向けに美男子を描く人になりつつあります・・。

さて、今回私が取り上げたいのは佐藤順一さんである。
正直いうと、この人には幾原さんほどの強烈な作家性はないと思う。
というのも、彼は日大芸術学部映画学科アニメコースに入学したんだけど、その時点でまだ「ガンダム」すら見たことない人だったらしいから。
入学してから周りがみんな「ガンダム」の話をしてるのに気づき、ヤバい!と思ったらしい(笑)。
その後は「大学デビュー」というか、原体験の不足を埋める「勉強」としてアニメをたくさん見たそうだ。
その中でもひと際目を引いたのが、やはり宮崎駿・高畑勲作品だったらしいけどね。
ちなみに、東映に入社して6年ほど経った頃、ジブリから佐藤さんに「魔女の宅急便」の監督やってくれないか?という嬉しいオファーがきたらしいのよ。

「魔女の宅急便」(1989年)

もともと、「魔女の宅急便」で宮崎駿はプロデューサー限定で、監督は別の人に託す予定だったらしい。
確か、佐藤さん以外にも片渕須直さんにも声がかかってたと思う。
片渕さんと佐藤さんというチョイス、実に慧眼じゃないか。
しかし、佐藤さんはこのオファーを受諾するには東映を辞める必要があったらしく、結局はお断りをすることになった。
だけど、本音はやりたかったんだろうねぇ・・。
「セーラームーン」の後、今度は原作なしのアニメオリジナル作品でやろうとなった際、佐藤さんは敢えて「おジャ魔女どれみ」を「魔法少女」でなく「魔女見習い」という設定にするのよ。
これ、どう考えても「魔女の宅急便」のオファーがあった時のアイデア転用だよね(笑)。
ある意味、「おジャ魔女」は佐藤さんなりのリベンジだったんだろう。

「おジャ魔女どれみ」(1999年)

「おジャ魔女どれみ」は、本当に凄い作品だったと思う。
幾原邦彦という強烈な個性が抜け、ポッカリと空いた大きな穴を前にして、そこで初めて大いなる佐藤順一の作家性が起動したんじゃないだろうか。
その作家性とは、圧倒的な「人間の善性の肯定」である。
これぞ、THE東映アニメーション!といっていい。
いや、ぶっちゃけいうと、序盤の「おジャ魔女」は案外ショボいのよ。
ヒロインのどれみのキャラ設定なんて、完全に「セーラームーン」うさぎのパクリだし。

・お団子ヘアー
・全然お勉強ができない馬鹿
・おっちょこちょい
・お調子者

キャラデザが大きく違うから気付きにくいんだけど、基本、どれみ=うさぎである。
ただ、回を重ねるごとに、だんだんとどれみ独自の色がついてくるんだよ。
その独自の色こそ、まさに佐藤順一色というもの。
あるいは、佐藤さんの人柄そのものが投影された色なのかも?
そして、佐藤さんのひとつの方針は

シリーズが軌道に乗ると自分は一歩下がり、若手に演出をやらせる」

という形。
実際、「セーラームーン」では幾原さんにあとを託し、「おジャ魔女」では五十嵐さんにあとを託したんだ。
なぜこうするのかは、よく分からない。
しかも、後になって変に口を挟んできたりもしないらしい。
で、「おジャ魔女」では託された後の五十嵐さんの演出の冴えが、また凄いんだよねぇ。
もう、涙、涙の連続である・・。
「おジャ魔女」未見の方は、ぜひ一度ご覧になっていただきたい。
というよりも、今の子供たちには「プリキュア」あたりを見せる前に、まず「おジャ魔女」を見せるべきだと思うぞ。
そして全シリーズ見終えた後、劇場版最新作の「魔女見習いをさがして」を見ることもお忘れなく。

「魔女見習いをさがして」(2020年)監督・佐藤順一

これ、「おジャ魔女」シリーズでありつつ、どれみたちは出てきません。
主人公は、子供の頃に「おジャ魔女」をTVで見ていた、年齢も境遇も異なる3人の女性たち。
彼女たちは各々が「おジャ魔女」を見て、そこから一体何を学んだのか?というドラマである。
これがまた、なんか泣けるんすよ。

なんていうかさ、佐藤さんは「巨匠」と呼ぶにはまだ早い年齢なんだけど、スタンスがもう「巨匠」なんだよね。
うまいこと下が育つし。
宮崎駿や高畑勲や富野由悠季みたいに強烈な個性を持ってるわけでもないのに、何かそれに匹敵するものを感じてしまう。
やはり富野さんがオトコノコを育てたとするなら、佐藤さんはオンナノコを育てたと思うのよ。
「アニメ界の父」ならぬ、「アニメ界の母」とでもいうべきか・・。

「たまゆら」(2010年)

ところで、佐藤順一の作家性を知るにあたり一番分かりやすい作品をひとつ挙げるなら、それは「たまゆら」だと思う。
ARIA」シリーズの方が有名かもしれんが、あっちは原作モノなのに対して「たまゆら」は完全に佐藤順一オリジナルだからね。
シリーズとしてはOVA⇒TV1期⇒TV2期⇒OVAという流れで、最初のOVAがユーミンの「やさしさに包まれたなら」で始まり、最後のOVAはユーミンの「卒業写真」で締めくくられる(歌唱はユーミンでなく坂本真綾だが)。
これ見て、「なるほど」と思ったわ。
敢えてのユーミンだけに、つまり佐藤さんは思いっきり「魔女の宅急便」を引きずってるわけさ。
本来なら自分が監督するかもしれなかった「魔女の宅急便」を、佐藤さんがその後何度も何度も繰り返し見たことは想像に難くない。
あるいは、佐藤さんの作家性の核になっているものって、「魔女の宅急便」なんじゃないの?
そういや、佐藤作品には必ずジジっぽい妙な動物が出てくるしなぁ・・。

思えば、佐藤順一の作品はどれも

「未熟なオンナノコが、時には失敗しながらもやがて成長していく」


というものばかりである。
これぞ、「魔女の宅急便」のプロットそのまんまだよね。
佐藤さんは宮崎駿に直接師事したことはないと思うけど、おそらく心の師匠なんだろう。
そして、「魔女の宅急便」に多くを学んだ人だからこそ、たとえ自らは一歩引いてでも、後輩演出家の成長を見守ることをよしとするスタンスなのかもしれないね。


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