「全修。」の<板野サーカス>に思いを馳せる
今期アニメにて、「全修。」がちょっと話題になってるよね。
もともと「月刊少女野崎くん」等の山崎みつえ監督の新作とあって注目されてたんだが、フタを開けてみればまさかの<異世界転生モノ>?
また同時に<アニメ業界モノ+魔法少女モノ>という構造になってるようで、どうやらアニメーターが作画を必殺技(『ワンピース』のフデフデの実の能力みたいなやつ?)にして、敵をやっつけていくパターンがこの物語における毎回のお約束になるっぽい。
それはいいんだが、問題はそこで毎回「何を描いたか?」である。
第1話「巨神兵」
第2話「板野サーカス」
第3話「タイガーマスク」
そう、この作品の設定、名作アニメのオマージュが<必殺技>ってことで、結構やりたい放題なんですわ(笑)。
当然、「おいおい、許可とってんのか?」と誰しも思うところだが、それが「許可」どころか、第2話においては驚いたことに、その「板野サーカス」の創始者・板野一郎が自ら作画監修していたことが明らかになり、視聴者的には、板野さん・・と(笑)。
で、今回私が書こうと思ってるのはアニメ「全修。」のことじゃなく、この「板野サーカス」の方なんですわ。
いやホント、久々に板野一郎の名をエンドロールの中に見つけて、ちょっと嬉しくなってさ(笑)。
ちなみに「全修。」のクレジットでは
「板野サーカスパート 絵コンテ/3DCG監修 板野一郎」
となっていた。
いや、「板野サーカス」というのは俗称の類いだと思ってたけど、ちゃんと今では、こうしてクレジット表記されるほどの「公式な名称」とされているんだね?
そして、知名度高い巨神兵(by庵野秀明)やタイガーマスク(by梶原一騎)と並べてピックアップされてるってことは、板野サーカス(by板野一郎)もまた一般的にかなりの知名度があると解釈していいんだろうよ。
板野サーカス
古くは「マクロス」シリーズにおいて一世を風靡した、この表現技巧。
もう、40年ほど経ってしまったことになるのか・・。
現在では、数多くのアニメーターたちがこれのオマージュを作品の中に挿入しており、空戦ではもはやお約束というべき「華」になってるよね。
ただ、一説には板野さんが公認した「板野サーカス免許皆伝」は庵野秀明、後藤雅巳、村木靖の3名だけということで、じゃ、それ以外の人が描いてるやつは正規の板野サーカスじゃなく、「板野サーカスもどき」と解釈すべきということ?
・・あ、今回の「全修。」のやつは師匠自ら監修してるので、正規のやつということでいいと思います。
じゃあさ、これ↓↓なんかは上記免許皆伝者が参加してない某アニメだけど、やっぱ正しい板野サーカスじゃない、ということになるの?
いやいや、全然正規のサーカスしてるじゃん?
でも、それは単に私が鑑識眼ないだけのことで、やっぱり見る人が見たら「何か、ちょっと違う」という印象を持つものなんだろうか?
う~む、おそらく8割以上の人がたとえ「もどき」を見せられたところで、その判別などできないと思うけど・・。
とにかく、板野サーカスは作画としてめちゃくちゃ難しいのは事実である(これを描けた「全修。」主人公は凄いのよ?)。
じゃ一体、何がそんなの難しいのか?
それは画の中のオブジェクトが、全てにおいてコマ打ちを変えた形(24fps/12fps/8fps)で描かれるから、である
まず、板野サーカスの基本原則とは、オブジェクトの位置によってコマ打ちを変えること。
基本設計は
①一番手前側のオブジェクト⇒1コマ打ち(1秒24フレーム)
②真ん中あたりのオブジェクト⇒2コマ打ち(1秒12フレーム)
③一番向こう側のオブジェクト⇒3コマ打ち(1秒8フレーム)
だが、問題は各々のオブジェクトが移動してしまうところにある。
つまり開始時点では①の位置にあったオブジェクトが、3秒後には②の位置を経由し、6秒後には③の位置に来てるかも。
すると、コマ打ちもまたその移動に合わせて調整せねばならず、ようするに<1コマ打ち⇒2コマ打ち⇒3コマ打ち>と変化させなきゃならないわけね(俗にいう「乱れ打ち」)。
・・いや、全オブジェクトが一律にそうなるなら、まだいいさ。
ところが板野サーカスのオブジェクト軌道は必ずしも一律じゃなく、見てると案外、バラバラなんだよねぇ(笑)。
ようするにこれ、各オブジェクトごとの調整が超めんどくさいということ
で、板野サーカスといっても、別に板野さんが全部1人で描いてるわけでもないのよ。
仮に原画を全部1人で描いたとしても、アニメというのは原画だけじゃ成立しません。
必ず、原画と原画の間を繋ぐ中割りという画を描く人の存在が必要なわけで、ただ困ったことに、板野サーカスでは「中割りを描くスタッフが原画についていけない」という現象が起きたんだってね。
たとえば、板野さんの原画は10発のミサイルを全て1枚の画におさめた上で変化をつけてるとして、それに呼応するスタッフはミサイル10発を各々別個で描いていかないと各自の変化を表現できないらしく、結局は何枚もの画をめっちゃ重ね合わせた形で出してくるらしいのよ。
当然、作画枚数がトンデモないことになる。
板野さんも「あれ?昔はこんなことにならなかったのに」と思ったらしいんだが、多分その当時は巧いスタッフ(画を重ねずに描ける人材)に恵まれていた、ということなんだろう。
「弟子」を公言する庵野さんとか、当時必死に食らいついていった系だろうよ。
さすがに板野さんはこの現象を見て、これはいかん、と。
で、困った彼が活路を求めたのは、3DCGだったわけだね。
これは3DCGが板野サーカスに適してるというより、板野さんがスタッフに指示を出す、あるいはチェック/修正をする際に、デジタル(座標、数値)でコミュニケーションを図った方が効率がいい、ということだったらしい。
あと、3DCGは画を描けないスタッフでも作画に参加することが可能ゆえ、意外と悪いもんでもないな、と。
「手描きの神」ともいえる板野さんが、こういう柔軟性をもっていたことは非常にありがたいことだと思う。
で、いまや板野さんは「3DCGの神」にもなったらしく、そうなると今度はアニメのみならず、実写の方にまで活動の幅を広げることになったわけだね。
皆さんは、板野さんの「ウルトラマン」は見たことある?
一時期話題にもなったから多分多くの人が見てると思うが、念の為、未見の方の為に動画を貼っておきます↓↓
ミサイルこそ出てないが、このウルトラマンも立派に板野サーカスの軌道を描いてる。
そう、もはや板野サーカスは、アニメ界だけのものじゃないということ
でもねぇ、こうしてデジタル分野にいっちゃうと、当然ハリウッドを含めた海外がスキルを模倣しやすくなるんだよね。
手描きじゃ模倣できないが、コンピュータの扱いなら自信ある、という国は結構多いだろう。
事実、最近ハリウッドが「コマ打ち」に着目し始めてると思う。
幸い、まだ板野サーカスの聖域にまで至ってないものの、この「スパイダーバース」はハリウッド3DCGの常識である1コマ打ちを廃し、敢えてフレームを減らしてきてやがった。
どうやらスタッフ内には日本人がいたらしく、スタッフ皆で「NARUTO」のDVD見て研究したりしてたとのことで、そのうちにこいつら、「マクロス」シリーズの研究始めるのも時間の問題だろう。
まぁ、こればっかりはしようがないか・・。
でもさ、皆さん不思議に思わない?
こういう「板野サーカス」をはじめ、あとは金田伊功開発の「金田パース」「金田爆発」、なかむらたかし開発の「岩石」、こういう昭和の偉人たちがなした<発明>というものが、少なくとも平成以降は全くといっていいほど日本アニメ界に無くなったよな?
もはや現代アニメにおいては、新たなスキルの<発明>は余地が残されてないのか?
・・いや、残されてないこともないんだろうけどね。
でもそこは料理と同じで、今なお「創作料理」ってのはあるにせよ、もはや天地がひっくり返るほど衝撃的なレベルのは出てこないんじゃないかな?
実際「全修。」でも、ヒロイン・ナツ子の必殺技というのは、全てにおいて先人のパクリばっかりじゃん(笑)。
あとひとつ言えるのは、上に挙げた昭和開発のスキルは、その多くが現場の<原画マン>から湧いて出てきたもんなんだよ。
でも、昭和の<原画マン>と令和の<原画マン>は、全く似て非なるものだと思う。
・・じゃ、両者は一体何が違うというのか?
まず、組織の構造が違うだろう。
<左が今のアニメ制作の組織、右が昔のアニメ制作の組織>
いや、あくまえ建て前上でいうと、昔も今も組織としては左のピラミッド型なんですよ。
ただ、昔は実態がちゃんとしてなかった、というべきだろう(笑)。
ぶっちゃけ、こういうのはアニメ業界に限った話でもなく、どんな業界でもちゃんとしてなかったんです。
まだ「コンプライアンス」って言葉もない時代、「ルールは破る為にある」というフレーズがまかり通った時代・・(笑)。
で、実態は円卓型という組織にありがちなアウンの呼吸というか、
原画マン、絵コンテを逸脱して思いっきりアドリブかます
⇒作画監督および監督、苦笑しながらそれを通す
というのが結構あったと思う。
多分、それが昭和ってもんですよ。
あくまで私の想像ではあるんだが、板野サーカスもそんな土壌から生まれたんじゃないの?
で、今の時代、そういう原画マンのアドリブは許されているのか?
多分、もう無理ですわ。
今は「レイアウトシステム」というのが徹底されて、現場のアドリブの芽は事前に潰される仕組みになっている。
原画マンの権限は、ぶっちゃけ落ちてると思う。
逆に、昔に比べて監督の権力が絶大になったと見るべきだろう。