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「涼宮ハルヒ」あの伝説、ワンカット2分17秒は一体何だったの?

これはあくまで個人的な認識にすぎないけど、アニメ00年代における最大のエポックメイキングは何かといえば、私は<京アニの台頭>だったと思ってるのね。
もちろん80年代には<ジブリ><ガンダム>、そして90年代には<エヴァ><攻殻>といったふうに各々のエポックメイキングがあったわけだが、00年代はやはり京アニだよな、と。
まぁ、00年代はこれに付け加えて<細田守>かな?
やはり京アニと細田守が00年代にオンナノコをアニメ界に引き寄せ、そして2010年代には<新海誠><山田尚子>といったところが台頭してくる下地を作ったんだと思う。

「涼宮ハルヒの憂鬱」(2006年)

2006年、「涼宮ハルヒの憂鬱」放送。
奇しくもこの年は細田守「時をかける少女」の公開もあったわけで、不思議とこういうのは<シンクロ>するんだよね。

<第1次シンクロ-1979年->

富野由悠季「機動戦士ガンダム」放送

宮崎駿「カリオストロの城」公開

<第2次シンクロ-1995年->

庵野秀明「新世紀エヴァンゲリオン」放送

押井守「GHOST IN THE SHELL」公開

<第3次シンクロ-2006年->

京アニ「涼宮ハルヒの憂鬱」放送

細田守「時をかける少女」公開

<第4次シンクロ-2016年->

新海誠「君の名は。」公開

山田尚子「聲の形」公開

日本アニメは、上記<4つのシンクロ>を経ることで今日に至っている。
大体ほぼ10年周期、ふたつの才能の萌芽という形で大きな地殻変動が起きるのが常なので、この流れでいくと

今年から再来年ぐらいの間に、また何か大きな地殻変動が起きる可能性もなくはないな・・


と個人的には考えていたりします(笑)。

・・ちょっと前置きが長くなったね。
「涼宮ハルヒ」に話を戻そう。

しかしこの作品、確かに放送は2006年だったんだけど、この当時はまだ「??」という視聴者のリアクションだったのよ。
なぜって、あまりにも実験的すぎる作風だったから
その最たるところが、時系列のシャッフルという形での放送である。

<「涼宮ハルヒ」2006年版放送順>

※ちゃんと時系列に沿って放送された<2009年版>の話数で表示します

①第25話
②第1話
③第2話
④第7話
⑤第3話
⑥第10話
⑦第9話
⑧第11話
⑨第28話
➉第4話
⑪第27話
⑫第26話
⑬第5話
⑭第6話

(全14話)

なお、<2009年版>というのは上記<2006年版>の全14話に新作の14話(そのうちの8話は悪評高き「エンドレスエイト」だがw)を足し、尚かつ時系列順にきちんと再構成したものである。
おそらく、現在サブスクで配信されてるもののほとんどが<2009年版>だと思うので、まぁ、これを見てる分には「ワケ分からない」ということはまずないだろう。

しかし、2006年版をいきなり見せられた当時の視聴者は、「??」となって当然だよね(笑)。
こんなの、絶対ワケ分からんって!
だけど、こういうワケの分からなさが逆にネット民たちに火を付け、「涼宮ハルヒ」はめちゃくちゃ話題になったのよ。

この作品の画期的だった点は、大きくまとめると次の6点といえるだろう。

①頭を整理しないと理解できない難解な構成(しかしストーリーそのものは全然難しくなかったw)で放送したこと

②ファンタジーに見えて、実は<量子力学>を基礎にしたSFであること

③歌って踊れる<アイドル声優>ブームに火をつけたこと

④学園祭のライブシーンで<ロトスコープ>という難しい技術を導入したこと

⑤<ラノベ>に市民権を与えたこと

⑥<萌え>に市民権を与えたこと


この6点とも、いまや現代アニメを語る上で欠かせない要素だよね。
つまり、極論すれば

現代アニメは「涼宮ハルヒ」から始まった

といっても過言ではないんだ。

まぁ、この時系列シャッフルは一種の<炎上商法>でもあったんだが、一応京アニサイドとして「ツッコまれた時の理論武装」というのは用意されてたらしいのね。
それが、これ↓↓

作品に設定されていた「超監督」という存在

そう、この作品は設定として涼宮ハルヒが「超監督」なのよ
この放送順も、全て<神>である彼女が決めたことである、と。
たとえば、なぜ第1話が学園祭で上映された自主制作映画「朝比奈みくるの冒険」なのか?
これは「ハルヒの性格からして、多分これを一番最初にもってくるでしょ(気に入ってたから)」というコンセプトから入ってるらしいんだわ。

あと、彼女はあまり理論立てて順を追って語るタイプじゃないし、支離滅裂に話があっちにいったりこっちにいったりというタイプだし、この放送順もそれに沿い、常にとっ散らかってる、という意味らしい。
なるほど。

あと、2009年版で最も炎上したのは言わずと知れた「エンドレスエイト」だが、2006年版の場合は、第9話(2009年版では最終話に該当)の「サムデイインザレイン」がプチ炎上を起こしている。

<2006年版第9話サムデイインザレイン>

個人的には「ハルヒ」における神回は、この「サムデイインザレイン」一択だな。
私のように「映像が好き」というタイプなら、ご理解いただけると思う。

というのもこの回って、TVアニメの常識ではあり得ないほど野心的実験をしてるのよ。
まず、カメラアングル。
それは上の画を見てもお分かりのように、「引き」のロングショット、固定カメラなんだよね。
普通、TVアニメではこういうことをやらない。
やるとすれば、映画ぐらいさ。
映画はTVより画面サイズが大きいので、被写体に寄せた映像より、引いた映像で全体観を観客に伝えることが好まれる傾向がある。
逆にTVは画面サイズが小さい分、それやるとキャラの感情が伝わりにくくなっちゃうし、常にバストアップを画にするのが基本。
でも、アニメの場合はそこまで映画とTVの差はないかな?
だって、TVの編集版が映画となって普通にヒットしちゃうぐらいだからね。
この「引き」を意識してやってたのは高畑勲など、ごく一部の一流監督だけである。

高畑勲監督作「おもひでぽろぽろ」

だけど、「涼宮ハルヒ」はこのロングショットがTVアニメなのにめっちゃ多いのよ!

これって、何なんだろうね?
作りが、やたら映画的なんだわ。
特にこの回は、その傾向が強い。

ちなみに前述の高畑さんは、引きの映像で観客に俯瞰の視点を与えることが重要、と語っている。
寄せの映像はキャラと観客との一体化、つまり観客がキャラに没入することで物語を主観で捉えるわけだが、そういうのはいかん、と。
もっと観客に客観の視点を与え、物語を考えさせねばならん、と。
観客が主人公になりきってしまえば、終われば「あ~面白かった~」だけでまとめられ、観客は思考しなくなってしまう、と。
・・まぁ、それがエンタメの王道なんだけどね(笑)。

だけど、「涼宮ハルヒ」は高畑ロジックに沿ったのか、俯瞰の固定カメラで視聴者に第三者視点を与えたのよ。
・・いや、それだけじゃない。
京アニは野心的にも高畑ロジックその2、「ワンカット長回し」にもトライしたわけさ。


長門有希が部室でひとり、延々と本を読んでるというだけのシーン。
これが

TVアニメ史上初、ワンカット2分17秒という伝説の誕生である!


この2分17秒というのがどれだけ凄いかというと、普通のTVアニメが平均ワンカット5秒程度だということを理解しておいてください。
比較的「長回し」が多いとされる実写映画ですら、平均は9秒。
尚、アニメ界において最もワンカットが長いのが高畑勲だといわれていて、ちょっとこれを見てくれ↓↓

<歴代ジブリ映画ワンカット長さランキング>

「平成狸合戦ぽんぽこ」

【1位】『平成狸合戦ぽんほこ』  屋台のオヤジ2人 78.5秒
【2位】『火垂るの墓』 清太がスイカを置いて横穴を出る 52秒
【3位】『火垂るの墓』 冒頭、死亡した清太を発見した駅員の会話 42秒
【4位】『となりの山田くん』 室内カメラをセットしようとするたかし 40秒
【5位】『かぐや姫の物語』かぐや姫に求婚の口上を述べる貴族 39秒


見ての通り、全部高畑作品である。
というか、TOP10は全部高畑作品で、宮崎作品はひとつも入ってません。

というのも、ひとつのカットは長すぎると集中力のない子供は画面から視線を外しちゃうのね。
ようは、長回しって<オトナ仕様>なのよ。
で、TVアニメもやや<子供仕様>というところがあり、カットは短くして展開を早めにしとかないと、視聴者にチャンネル変えられちゃうから。
それはひとつの常識なのに、なぜか京アニはその逆をいったんだね。

長回しとロングショット


その集大成ともいえるのが、この「サムデイインザレイン」である。
敢えて2009年版では最終話に設定されたのも、納得の神回といえよう。
それこそ高畑勲がいうように、「観客に考えさせる」効果を生んだ演出ともいえて、実際「きょんにカーディガンをかけたのは結局誰?」とか、皆さんも何かとこの回で考えさせられたと思う。

ちなみに、京アニはこの回の演出について

「定点観測、第三者視点がテーマ」


と語っている。
それこそ本作は、きょんの1人称で進むドラマだけに、量子力学的に
きょんが<観測>していないセカイは存在するのか?
を裏テーマとして、敢えて「きょんやハルヒがいないところで、ひとりいる長門有希」を描く必要があったようだ。
また、一応の裏設定として「隠しカメラ」説、「部室の太陽のオブジェが実は神」説なども準備されていたらしい。

しかし、例の2分17秒の長回しについて、京アニの演出家は

「ロングショットは、キャラの全身を描く必要から作画カロリーが意外と高く、どこかで抜く必要があった。
ワンカットを長くした狙いは、省エネ」

と語っており、

ようするに手抜きでしたわ、これ(笑)


ところが、視聴者は

「ここで体感した長門の孤独こそが、劇場版の伏線」

と別のいい方の意味に解釈してくれちゃって、結果オーライだわ(笑)。



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