「MONSTER」結局、怪物とは誰のことを指していたのか?
今回は、アニメ「MONSTER」について書きたい。
これの原作は、言わずと知れた浦沢直樹先生の代表作のひとつ。
私はリアルタイムにビッグコミックオリジナルの連載を読んでたんだけど、実をいうと、途中でしんどくなって離脱しちゃったんだよね・・。
うん、この漫画は単行本で一気に読むなら話はまた別にせよ、正直連載時はストーリーが遅々として進まず、地味で冗長で、きっと私だけじゃなく途中で脱落した人は案外多かったんじゃないの?
率直にいえば、この話、週刊誌の連載という媒体にフィットしてなかったと思う。
じゃ、これのアニメ化はどうだったのか?
・・正直いって、このアニメ化は凄かった!
制作はマッドハウスなんだが、とにかく原作へのリスペクトがハンパない。
変にアニメの文法を使わずにきっちりと原作を再現してるので、その雰囲気はアニメというよりは、もはや海外ドラマである。
まず、オープニング曲で「あ、これマッドハウス本気だ」というのがすぐに分かったよ。
こんなの、アニメのOPという域を完全に超越してるよね。
ついでにいうと、EDは前半デヴィッドシルヴィアン、後半フジコヘミングという豪華リレー。
全74話を中断挟まず、日テレが1年半かけて放送したんだが、この作品の恐ろしいところは最後まで作画が高い次元で安定してたことである。
マッドハウスの底力を思い知らされたわ~。
もはやこれ、マッドハウスの最高傑作といっても過言じゃないと思う。
さて、原作者の浦沢直樹先生については今さら私が語るまでもないと思うが、私が彼を初めて知ったのは「YAWARA!」である。
本来、浦沢先生の作家性はこういう青春系のPOPなやつだと思ってたのに、その「YAWARA!」とほぼ同時期に連載してた「MASTERキートン」を見て「あれ?」と思ったんだよね。
ベクトルが全然違うじゃん。
浦沢先生には、ふたつの作家性がある?
いや、そうじゃないんだ。
この両作品のベクトルの違いは、担当編集者の違い。
ちなみに、「MASTERキートン」の担当編集は長崎尚志という人で、後にビッグコミックスピリッツの編集長にまでなった人である。
長崎さんが編集として携わったのは、「MASTERキートン」「MONSTER」「20世紀少年」「PLUTO」「BILLYBAT」、あとリチャードウーの名義で「ディアスポリス異邦警察」(すぎむらしんいち)の原作者になってたりもするんだから、そのへんにいるような普通の編集者ではないんだろう。
「MONSTER」あたりは、浦沢先生以上に長崎さんの作家性が強いものだと思う。
大体、この作品はドイツ、チェコ等をロケハン含めて徹底取材しなきゃ絶対描けない内容だし、当時複数の連載を抱えていた浦沢先生自らそれをやったとは思えないんだよ。
「MONSTER」の連載は1994年~2001年であり、90年代は↑↑の画像の作品群を代表とした、サイコスリラーブームだったんだよね。
マーケティング的に「MONSTER」はそのエッセンスを取り込んだもので、特にデビッドリンチのオマージュは作中に分かりやすく挿入されてるわな。
リンチに限らず、他にも色々なサスペンス映画のオマージュが挿入されてると思うので、映画に詳しい人は全部でいくつあるか数えてみてください。
大枠のプロットは、1993年のサスペンス映画「逃亡者」がベースになってると思うよ。
これも外科医が無実の罪を着せられ、逃亡しながら事件の真相を追っていくという「MONSTER」そのまんまの内容。
逃亡する外科医がハリソンフォードで、追う刑事がトミーリージョーンズ。
そして「MONSTER」の怪物・ヨハンのモチーフは、おそらく「オーメン」のダミアンだろうね。
浦沢先生、もしくは編集の長崎さんは、かなりの映画通と見た。
マッドハウスもそのへんをよく分かってるのか、アニメ的な味付けを捨て、敢えて原作のフル再現だけに全力を注いでる感じ。
結果として、まるで映画のようなアニメに仕上がっている。
その映画っぽさの根拠になってるもののひとつが、声優陣である。
たとえばエヴァ役は小山茉美、ルンゲ役は磯部勉。
ふたりとも大ベテランであり、アニメよりはむしろ洋画の吹替の印象が強い声優たちである。
正直エヴァなんて漫画では全然好きになれないキャラだったけど、アニメで小山茉美さんの声がつくと、その人間臭さに限りなく感情移入できるキャラとなった。
その年増っぽさ、女性としての複雑さの表現、小山さんには思わず助演女優賞をあげたくなるほどだったよ。
あと、キャストで印象に残ったのはライヒワイン博士だね。
cvが「ニッポンのお父さん」ともいうべき故・永井一郎さんで、この人の声の安心感はやはり別格である。
思えば、「YAWARA!」にも「MASTERキートン」にも永井一郎さんは出てたっけ。
この人、どんな役柄でも大体同じ声なんだよな(笑)。
しかし、見てるとだんだん精神が擦り減ってくる「MONSTER」において、永井さんの声は作品の良心、私には心の健全さを取り戻すトリガーだったよ。
正直、この人のお父さんボイスを超える声優は、いまだおらんよなぁ・・。
さて、この作品のタイトルについてだが、MONSTERってのは結局何だったの?
きっと多くの人がMONSTER=ヨハンと解釈してるけど、私はそう単純な話でもないような気がする。
ヨハンは確かに狂気を孕んだ人間だったにせよ、その一方で彼は被害者でもあったわけで・・。
彼は幼少期、チェコ、および東ドイツで人体実験の被験者になってたからね。
このへんは、かつてナチスドイツでヨーゼフ・メンゲレがやったとされる「双子実験」が元ネタだろう。
メンゲレは、収容所にいた3000人の双子を集めて人体実験をし、その結果、最終的には僅か160名しか生き残らなかったという話だ。
ちなみに、彼が実行した様々な狂気の実験の中でも、特に有名とされるのが結合双生児実験。
この実験は、双子を縫い合わせて一体のユニットにしてしまう、全くもって理解に苦しむ謎の施術である・・。
ちょっと発想が頭おかしいよね。
終戦後、彼は国外に逃亡して、結局のところ生涯捕まらなかったんだけど、そのへんは「MONSTER」に出てくるフランツ・ボナパルタと同じ感じ。
後に、このメンゲレの狂気をモチーフにした映画が制作されることとなり、それが有名な「ムカデ人間」。
確かあの作品、肛門と口腔を縫合し、複数の人間をひと繋ぎにしてたっけ。
悪趣味だが、映画はヒットしたらしい。
そりゃヨハンも確かにあれだけど、こういう実験する奴らの方がよっぽどMONSTERである。
・・といっても、日本人もあまり偉そうなことを言えないわけで、というのも、かつて我が国でも陸軍「731部隊」が中国人を相手に似たようなことをやってたらしい。
こういう軍部の狂気って、結局何なんだろう?
「MONSTER」では、怪物生みの親とされるフランツ・ボナパルタが全ての元凶かと思わせといて、物語の終盤で出てきたボナパルタはどう見ても普通のお爺さんだった、という意外なオチ・・。
結局、本作は「本当のMONSTERは誰だったのか?」という問いに対して、浦沢先生は明確な答えを示さないまま終幕となるのよ。
そこは皆さんで考えてみてください、ということだろう。
私が思うに、MONSTERとは、特定の個人というよりはもっと上位の存在、いうなれば「共同幻想」みたいなものじゃないかと。
たとえば、戦前の日本を考えてみてほしいんだけど、果たして天皇陛下はMONSTERだったか?
あるいは、東条英機はMONSTERだったか?
あるいは、石原莞爾はMONSTERだったか?
私はそのいずれもが違うと思うわけで、でも当時、最高権力者の天皇ですら抗えない、何かMONSTERのような幻想的存在がそこに存在したというのは紛れもない事実なのよ。
それは特定の個人とかではなく、なんていうか、空気というか、熱病みたいなやつさ。
その熱病に侵されちゃうと、やがてどんどん常軌を逸していくことになり、最後には歯止めがきかなくなる。
結局、ヨハンのやっていたことは全て「実験」だったんだと思うよ。
かつて自分が被験体だったことを基礎として、今度は彼自身が社会を被験体として壮大な実験をしていただけなんだろう。
つまり彼自身には何の野心もなかったんだが、そこを理解できなかった周辺のオトナたちによって、話がどんどん複雑化していったわけね。
その全体感を踏まえて、もう一度「MONSTER」を見てほしい。
するとMONSTERはヨハンの中にではなく、もっと別のところにあることがだんだん見えてくるから・・。