
【小説】She has gone away
妹は缶ビールを二本飲んでハンドルを握り、時速80Kmで電信柱に突っ込んだらしい。折れた電柱よりはるか向こうに吹っ飛んで、体を路面にしたたか打ち付けたそうだ。内臓が破裂して辺り一面が血の海だったと、駆けつけるタクシーの中でTwitterに書かれているのを見た。
病院に到着したとき、弟はまだ到着していなくて、ロビーで両親がすっかり憔悴していた。電話を受けてから親の姿を見るまでの、すべての出来事はふわふわと浮わついていた。見るともなしに流れる映画を眺めているみたいに。
深夜の病院は廊下も真っ暗で、電気がついているのは突き当りにある自動販売機だけだった。その暗がりで泣いて肩を震わせている両親に、私は欠ける言葉が見当たらず、ただ側に立ち尽くしていた。妹が死んだ、という事実をどうやって現実と受け止めたらいいのか、その方法がわからない。
顔面の損傷が激しいので見ない方がいいと言われたため、死亡確認は父親が行った。普段妹とあまり交わりのない父でわかるものだろうか。母の方がいいのではなかったか。ハワイのお土産に妹が嫌いなチョコレートを買ってくるような父が、果たして妹を見分けることが出来るのだろうか。
すべてのことが終わり、家に帰りつくとそんなことを考えた。もしかしたら妹じゃなかったかもしれない。背格好が似て、同じ車に乗っていただけの別人かもしれない。そんなことを思ってしまう。
春に運転免許を取ったばかりだった。地下鉄もない田舎への赴任だから、車が必要だといって、忙しい合間を縫って教習所に通ったのだ。帰りに迎えにいったこともある。父が買い与えた中古のミラは十五万円のポンコツ車だった。ミラは後部座席近くまで電柱が食い込み、廃車にするしかないという。
夜が明けても陽が沈んでいるみたいに感じられた。
白いシーツを用意しなくてはいけなくて、朝一番でヨーカドーに向かう。カバーじゃなくて布一枚のシーツがいるのだと、葬儀屋は言った。
寝具売り場に向かう途中、フォーマルスーツの店を見かけて、喪服がないことに気づく。いかにもなデザインの喪服を手に取り眺めていると、「ご葬儀ですか」と店員に声をかけられた。
「ええ、さっき妹が亡くなって」
店員は一瞬戸惑いを見せたようにもみえたが、気のせいだったのか落ち着いた様子で「ご愁傷様です」と頭を下げた。
ワンピースとツーピースの喪服を持ってきて、夏の時期なのでワンピースは最適だが、冬を含めて一年中着るのであればツーピースをお薦めすると言われてツーピースを選んだ。試着すると袖が少し長い。お直しをするには日数がかかると言われてそのまま貰うことにした。
お会計の段でお金はシーツを買う分しか持ってきていないことに気が付いた。そのことを告げると店員は嫌な顔もせず、取り置きしておいてくれると言う。
シーツを買って外に出ると、太陽は随分高いところまでのぼっていた。けれど、やはり暗いように感じられる。
寝具売り場でも聞かれていないのに「妹が死んだので葬儀屋にシーツを買うよう言われた」と言って店員を困惑させた。店員が眉を顰めて『なんと言ったらいいのか』という表情を見せたとき、少し優位な気持ちを抱いている自分に気づいた。
家に戻ると函館からようやく到着した弟がいた。両親は親戚と電話で話をしている。隣室に横たわる妹の亡骸の前で、弟はぼんやりと座って妹が横たわる白い布のふくらみを眺めている。
「それ、替え玉だよ」
白いふくらみを指さして言う。
「お父さんが確認したから、本人かどうか定かじゃないんだ。茉莉じゃないと思う」
私がそう話すのを聞いて、弟はひどく疲れた表情を浮かべた。
八月だというのにとんぼが飛び交い、鈴虫が鳴いている。ヘリコプターが上空を舞う音がして、近くの小学校から子供たちの声が聞こえてくる。
私と弟との間には、なにもない。思い出話をする気力も、冗談を言い合う活力も。窓から射し込む光はこんなにも強く、真っ白に窓を浮かび上がらせているのに、どうして明るさを感じられないのだろう。
胸の奥に思う言葉があるような気がするのに、それが唇を象ることはない。仕方がないのでスマートフォンを取り出し、ゲームアプリを立ち上げる。ピコピコと場違いな音が鳴り響き、全員がこっちを向いた。
叱られるかと思ったが、「それ、お母さんもやってる」と言って、「この間ようやく25面をクリアしたんだけど、26面が難しくてね」と、いつの間にか話し終えたスマートフォンを操作して同じゲームを立ち上げた。
「姉ちゃんクリアした?」
妹からそう聞かれたのは一昨日。難しいからクリアしたらやり方教えてと言われていた。弟が画面を覗き込み、
「俺もうそこクリアしたよ」と言う。
「父さんはむつかしくてリタイアしちゃったのよね」と母が続き、父はその画面を覗き込んでいる。
ふたつの陽気なメロディーは、不協和音となって家族を包んでいる。
私たちは今日、妹を亡くした。